2002年5月17日


28

「 裁 判 を 正 す 会 」 事 務 局 


 2002年度の年会費並びにたくさんのカンパのお振り込みをありがとうございました。「司法の透明性」を追求してきた会員皆様のご努力が、蛍雪7年を経て、ようやくはっきりした形で成果が現れました。

 

 裁判の勝敗ではない。「提訴」そのものに《社会を変革する力》がある。

 裁判には時間とお金がかかる。そのうえ心の平穏を欠き、健康を害し、早死にする危険がある。
 しかし私たちは社会の一員として生きている。どんな問題でも根っこの部分で「人間は生まれながらにして平等で、健康で、文化的な生活を営む権利がある」と、「人権」と「権利」、さらには「社会正義」に結びついている。

 そこで一大決心をして、社会を良くするために、子や孫のためにと、裁判に踏み切るが、社会の弱者である私たち「普通の国民」はおいそれと勝訴できない。敗訴でもしたらますます傷が深くなるだけで、裁判なんてやるもんじゃないと思っていた。

 ところが疲労でダウンして大学病院に通院したことで、誰でも自由に傍聴できる「公開の法廷」で、原告・被告の両当事者が各自の考えを主張し、激論を戦わすことが、「勝訴」・「敗訴」・「和解」の結果の如何にかかわらず、社会の安寧と進歩につながっていくことを知りました。

@ 問診票で既往歴・アレルギーの有無をチェックする。 
A 診察・検査のつど患者の氏名を確認する。 
B 診察は担当医がパソコンに打ち込みながらするから、患者は医師がどのような病気を疑い、どのような検査を想定しているか分かる。それによって補足説明をしたり、納得できないところは質問して確認することができる。診察の待ち時間は初診の日は約1時間、その後は予約制。検査日時も予約制。
C 最後に担当医から検査結果に基づいて総括説明があり、治療方法の選択は患者の意思が優先する。

 そして私が女性であることから「担当医」・「検査医師と技師」・「看護師」・「その他のスタッフ全員」が女性だった。「薬害」・「医療過誤」「セクハラ裁判」成果である。帰りのバスにはリフトがついていて、運転手が降りてきて、車椅子の人を誘導して乗車を手伝っていた。

 提訴することで、世間に向けて、「日本社会を健全で、住み良いものにする」ための「問題提起の役割」をはたしている。

 犠牲を顧みず、裁判に果敢に取り組んでくださった方々に、感謝の気持ちを捧げると同時に連帯感を覚える。「裁判を正す会」の会員にも、関西方面で、現在、保険会社の医師を相手に、セクハラ裁判で苦渋の毎日を強いられている方がおられる。

 勝訴者の言い分のみによって社会の有り様が決まるのではなく、全国各地で提訴された同種の裁判で議論された内容と判決理由が、新聞・テレビの報道で国民に広く知らされ、問題解決に向けて、「世論の喚起」「国民の合意形成」結実していく。

 提訴の時点では個人間の問題であったものが、まず「両当事者の周辺で働き・生活している人たち」の関心をひき、最終的には国民全般に関わる問題として事態が動き出す。

 冨嶋の場合、下関医師会の会員である良識ある医師たちから、「西川良平・蒲池真澄の両被告医師」・「それらをかばう理事たち」・「被告側訴訟代理人末永汎本弁護士」に対して批判する声があがり、ついで製薬会社「エーザイ」が、原告冨嶋側訴訟代理人小笠豊弁護士が裁判所に提出しないで隠していた「冨嶋に有利な資料」を再発行し、その後も重要な資料を提供してくれ、差戻審前には製薬会社約100社からなる研究会で論文まで作成して、冨嶋を応援してくれた。被告側陣営の人間が冨嶋側について、虚偽有印公文書作成同行使罪の犯人グループである巨悪の法曹と戦ってくれた。

 提訴された《課題》に対して、国民が一丸になって、真剣に考え、社会的に総括して「正当である」と考えられる結論を出す機会を与えられた同じである。民主主義の実践であり、国民主権の原理が実働したことになる。

 だからこそ「司法は社会のインフラ」であり、公明正大で、先ず国民の信頼に応える「高潔な環境」を整え、裁判の使い勝手を良くしなければならない。

 そうでないと小泉構造内閣の目玉である郵政民営化から有力候補のクロネコ(ヤマト運輸)が離反したと同じで、国民が自浄力のない裁判所を見限るときがくる。官僚司法制度と戦う私たちと同じで、宅配便市場を切り開いたヤマトの歩みは「官」との戦いの歴史である。

 「誤判」・「えん罪」の原因となってきた、「杜撰な捜査」「裁判の悪しき慣習」とでもいうべきものから改めていかなければならない。

 私は「記録機材の法廷内使用解禁」と、「検事聴取書が2枚以上に及ぶときは契印をすること」を提案する。裁判を経験したことのある多くの国民が熱望していることである。

 すでに最高裁は「民事裁判」では遠隔地の証人尋問などが可能となる、双方向で意見を交換する〈テレビ会議システム〉を整備した。「刑事裁判」ではテレビモニターで別室にいる証人に、リアルタイムで尋問する〈ビデオリンクシステム〉が昨年6月から始まっている。

 裁判所と当事者が法廷で積極的にIT器機を活用すれば、「審理の迅速化」はいうまでもなく、「裁判の透明性」確保される。

 前記「2つの提案」は、 憲法が謳っている「国民の公正な裁判を受ける権利」保障する意味でも、最低、必要なことであり、緊縮財政のおり、税金を投入する必要がなく、政府なり、最高裁が決断しさえすれば、その瞬間から、直ちに実行することができる。

 政府はこの「2つの提案」を最優先して取り上げるべきである。根っこが腐っていたのでは先ず以て芽が出ない。葉も繁らないし、花も咲かない。万一咲いても「毒の花」である。「高潔である」ことこそ「司法の生命線」である。不正の介入は絶対に排除しなければならない。「制度改革」は「高潔な環境作り」ができてからのことである。
 ここを突かれたくないから、司法制度改革審議会は委員を任命するにあたり、公募制を採用しないで、国民を同審議会から閉め出したのである。

 国民は悪徳法曹の私利私欲・保身・出世の餌食になるために裁判をするのではない。
 法律の専門家としての自尊心があるのなら、国民からインチキ裁判をやっているのではないかと疑惑の目で見られる鎧甲「記録機材の使用禁止」は、自ら潔く脱ぎ捨てるべきである。なぜ正々堂々と真正面から職務を遂行することができないのか。
 また最高裁はそれら悪徳法曹の片棒を担いで、「司法の透明性を高める」ための「国民の要望」を無視しつづけるのか。裁判所は中国における瀋陽総領事館亡命事件で、世界中に日本の恥をさらした、外務省と同じ「虚偽体質」である。司法は国民のためのものであり、主権者は国民である。正当な理由を示して「国民の要望」に対して明確に回答すべきである。無視とは言語道断である。

 ご参考までに、以前にも「裁判を正す会」のHP「会員ひろば7」に掲載したことがある、刑事訴訟法の権威・五十嵐二葉弁護士さんの主張を以下に再度ご紹介いたします。故遠藤誠弁護士さんも同旨の主張を現代書館刊「帝銀事件の全貌と平沢貞道」で述べておられる。

■ 供述調書変造チェック方式を
 東京の大井警察署で発生した参考人供述調書ねつ造事件は当然起こるべくして起こったと言える。調書の作り方に偽造や変造を防止する手段が講じられていないからだ。
 供述調書は警察官や検察官が被疑者や参考人を取り調べたときに、供述したことを記録するという形式で、その警察官、検察官の署名捺印で作られる。被疑者や参考人は末尾に「読み聴かせたところ、誤りない旨申し立て署名捺印した」とゴム印を押したあとに署名と示指の印を取られるが、そこには日付もない。
 大井警察署や数年前の大阪の同種事件は「署名」「偽造」だった。もっと見分けが困難なのは署名のある1枚を残して全部を書き換えてしまうやり方だ。
 私は弁護士会の仕事で多数のえん罪者から事情聴取をしたが、「書き換えられたと思う」と答えた人が驚くほど多かった。
 フランスでは供述調書はごく短いものだが、取調官はその中に日付のみならず取り調べと休息の時間なども書かねばならず、被疑者や参考人が内容の正確さと共にそれを確認し、1枚ごとに設けられた所定欄にサインしなければ調書は無効だ。
 わが国でもこうした方式を採用することが、今回のようなねつ造と、悪名高い日本型えん罪(虚偽自白によるえん罪)をなくする道ではないか。(五十嵐二葉弁護士さん57歳当時の11月10日の毎日新聞の記事)

 ・・・えん罪被害者の1人が言っていた。「字が読めないわけではない。目が見えないわけでもないから、刑事や検事に調書を読んでもらわなくてもいい。まさか刑事や検事がと信用していたら、何が嘘ばかりで、ときには飛ばし読みまでされていて、やってもないことを、やったように書かれていて、後日、ひどい目にあった。今、日本人で字が読めないものはいないのだから、調書を読んでくれなくてもいいから、調書ができたら、私(被疑者・被告人)の方に渡してください。自分で読んで、嘘が書いてないのを確認してから、署名します。本当にあの連中には何をされるかわかったものではない。恐ろしいですよ。」

■ 裸の司法・・・裁判長が記録を改ざんしたら
 警察官が取り調べた人の供述調書を改ざんしたと訴えても、裁判所は聞いてくれない、という話を前回書いた。では裁判長が訴訟記録を改ざんしたら?
 そんなこと、あるはずないと誰もが思うだろうが、実際にはあった。当時新聞にも出たことだから事件名を出してもいいだろう。
 10年ほど前、いわゆるKDD事件(冨嶋書き込み:被害者・板野學元KDD社長)の一審の裁判長(冨嶋書き込み:佐藤文哉)がその権限のない書記官に命令して改ざんさせたのだ。書き換えたのは公判で何が行われたかを記録する「公判調書」。これがなぜ新聞に出たのかというと、控訴審の裁判所が改ざんの事実を認めて「明らかに違法な措置」だと判決の中で書いたからだ。
 で、どうなったとあなたは思いますか。
 控訴審判決はそう言いながら、改ざんされた公判調書を元に戻さなかった。事件は上告された。私はこの上告審の最後のほうで弁護人に加わった。「公判調書を正しく直してほしい」という事件本人の悲願を「訴訟記録の訂正(復元)請求書」という書類につくって最高裁に出した。
 控訴審判決は「公判調書の無権限書き改めの部分は公判調書としての効力を有しない」と認めた。法律に従えば改ざんされた調書に書かれた公判の内容は存在しなかったことになる。
 改ざん部分の公判が存在しないことになったら、一審以来の判決は全部成り立たなくなるのだ。
 で、どうなったとあなたは思いますか。
 最高裁は、改ざん問題に一言もふれず、高裁判決をそのまま支持する「上告棄却」の判決をした。
 これはなんということだ。日本の裁判所は自ら無効だと宣言した公判調書を実際には有効なものとして扱って有罪の判決をし、またその記録は今も正式な公判記録として保管されているのだ。(冨嶋書き込み:裁判官が責任を問われたことはないが、えん罪は裁判官の故意犯である)
 間違いを犯した個人を裁く裁判所は自分の間違いは直さない。他官庁の間違いに甘いのも当然か。
 英語では「司法」はジャスティス=正義と同じ一つの言葉だ。
 日本語では、司法は「法を司る」と書き正義とは別の言葉だ。(週刊金曜日 1997.6.13)

 ・・・冨嶋が「権暴」を出版した後、弁護団のお一人から紹介されて、板野氏は「裁判を正す会」の会員になられ、その後、「裁判を正す会」が出版した「民事裁判ものがたり」に板野氏も寄稿され、その中で、板野氏ご本人がこの佐藤文哉裁判長の犯罪について詳しく書いておられる。「佐藤裁判長は最高裁の調査官というエリートコースを歩み前橋地方裁判長を経て、東京高裁の総括裁判長に任命されるという最短の出世コースを進んだ人ですが、」。
 裁判所は、やくざ組織と同じで、悪いことをすると出世することが証明された。ワイロはお金だけでなく「出世」という手もあるそうだ。また佐藤裁判長は法務大臣の諮問機関である法制審の刑事部門の委員にもなっている。これでは政府や最高裁に「司法の高潔を求める」国民の請願がとおるわけがない。  
 冨嶋の裁判でも、1回分の架空の原告本人調書と口頭弁論調書がねつ造される犯罪があった。この犯罪に関わったのが地裁下関支部長
梶本俊明裁判長をはじめとする書記官など裁判所職員、元東京地検特捜部検事・山口県公安委員長・自民党高村正彦衆議院議員の後援会長の被告側訴訟代理人末永汎本弁護士、それに加えて原告側訴訟代理人園田峯生弁護士で、冨嶋は周囲をぐるり犯罪人に取り囲まれて、裁判官という仮面をかぶった犯罪人が取り仕切る「監獄」で、裁判をやっていたのと同じである。真昼間、その「監獄」には燦々と太陽の光がふり注いでいた。恐ろしい光景である。当初、殺人罪で訴えた刑事告訴の方であった東京科学警察研究所の「イカサマ鑑定」に始まり、民事裁判のこの「虚偽有印公文書作成同行使犯罪」で、時効逃れを狙った犯人一味により、冨嶋は20年以上もインチキ裁判にふりまわされ、人生をむちゃくちゃにされたが、殺されなっかただけよかったと思う。
 日本は外形だけの法治国家で、実態は、法曹犯罪人どもが捜査権・裁判権を掌握している。まさに「日本は正義のとおらない国」である。板野氏と冨嶋の裁判記録の中にその証拠が今も存在している。それでも最高裁は「不正防止策」を講じないで、反対に不正が発覚すると、「もみ消し」に躍起になるだけである。これこそ日本という放置国家・棄民国家に生まれた国民の悲劇である。

 このように悪徳法曹「汚職の手口」となってきた調書犯罪は、「旧民事訴訟法147条」では「どのような手順をふんで弁論が行われたかはもっぱら調書だけが証拠となる。この結果、調書に記載があればそのとおりの事実があったものと認められ、調書に記載がなければ、その事実はなかったものと認められることになる」とされていたのが、98年に施行された「新民事訴訟法160条2項」で「調書の記載について当事者その他の関係人が異議を述べたときは、調書にその旨を記載しなければならない」と規定され、自由国民社刊「口語民事訴訟法」には興味深い注釈「調書にまちがったことを書かれる危険があるから、調書を閲覧したりコピーをとったりすることは重要な仕事である」と、国民に「不正な調書作成が存在すること」警告する内容になっている。
 これも「不正調書作成犯罪」の被害者たちが挫けず、勇気を出して、繰り返し告訴した成果である。本来の「裁判」に「告訴」と、被害者は裁判漬けになるが、無駄な努力はない。

 それにしても、やることが姑息である。痛くもない腹を探られて、国民から疑惑の目で見られ、軽蔑されつづけるより、潔く「記録機材の法廷内使用解禁」に踏み切った方がいいのにと国民は思う。

 「改ざん戸籍の復元」も提訴の成果である。特に原爆が落とさた広島では、戸籍簿と土地登記簿の改ざん・ねつ造が横行し、骨肉の争いが繰り広げられた。詳細は知らないが、戦死した7歳違いの実兄(長男)を父親にして、悪妻に唆された弟(次男)が、姉妹には分けてやらず、遺産を独り占めにする事件もあった。悪妻は実家の近所に住む裁判所書記官にこの計画を持ちかけられた。長男より年長の姉妹は「犬や猫ではあるまいし」と訴えたが、裁判所は「戸籍簿の改ざん」を認めなかった。

 「裁判を正す会」もできてから、今年の10月で7年になります。この間、裁判を傍聴しあったり、新聞・雑誌に投稿したり、一緒に記者会見をしたり、実例集を出版したり、HPを作成したり、また他会と情報を交換するなどして、「司法の民主化」をめざす市民運動の輪が広がり、一定の成果が見られるようになりました。
 裁判の実態が広範囲に知れ渡り、予備知識「調書に不正が存在する」を持って裁判を始めるから、「会」ができた当初と違って、金切り声をあげて事務局に電話をしてくる人は少なくなりました。

 数日前、九州に住むお年寄りから電話がかかってきました。「裁判官がワイロをもらってインチキ裁判をやるから、警察に出向いて『どうかしてくれ』と訴えたら、それはここではあつかってないから、『裁判を正す会』に言いなさいといって、そちらの住所を紙に書いてくれた」と話された。

 社会的に「裁判を正す会」の存在が認められるようになったのだろうか。
 会員の皆さん、せっかくここまで前進したのですから、もう一踏ん張りしようではありませんか。

 「会員ひろば」に掲載する原稿をどしどしお送りください。社会にむけて発言してください。道が開けます。「メール」で送信していただけると編集が楽にできます。

〈むだ話〉
 拘束中の1人から亡命希望を書いた身上書を見せられながら返した、瀋陽総領事館の警備担当副領事は、元外務大臣・高村正彦議員と元山口県公安委員長・末永汎本弁護士の地元、山口県警からの出向者ということです。