2019年11月20日

751
米国戦犯密約犯罪である

 第2次世界大戦後、世界征服を画する米国は、戦犯を使い、政権中枢掌握、日本を植民地に、沖縄を東南アジア・極東の前線基地に、国民は生物兵器開発の人体実験の材料にすることを謀った。その手段が密約だった。

 米国は●アヘン密売人戦犯とは「対日本工作の工作員になって、米国の日本植民地統治に協力(隷属)すること」を条件に、●731部隊戦犯とは「満州で細菌戦のために生物兵器を開発・研究・実戦使用に供した人体実験データ」と引替に、戦争犯罪を問わないこと密約した。

『虚実の自由』3S“人体実験”

 (日本人)は我々の家畜(戦利品)

 猿(日本人)を『虚実の自由』という名の檻で、我々が飼うのだ。方法は、彼らに多少の贅沢さと便利さを与えるだけで良い。そして、スポーツ、スクリーン、セックス(3S)を解放させる愚民化政策。これで「真実から目を背けさせること」ができる。

 猿(日本人)は、我々の家畜だからだ。家畜が主人である我々のために 貢献するのは、当然のことである。そのために、我々の財産でもある家畜の肉体は、長寿にさせなければならない。(
化学物質などで)病気にさせて、しかも生かし続けるのだ(帝銀事件・薬害エイズ事件)
 これによって、我々は収穫を得続けるだろう。これは、勝戦国の権限でもある。

 日本の原爆投下を命令したハリー・S・トルーマン
 終戦時のアメリカ大統領
 「3S政策」の生みの親
 CIAやNSA:国防総省の情報収集機関などアメリカに秘密組織を創設、徹底的な軍拡などで、アメリカを現在に繋がる軍事大国に発展させたことでも知られており、白人至上主義組織KKKへの加入歴もある。庶民に対するマインドコントロール:洗脳などを本格的に研究していた様子も見られる。ナチスのヒトラーと同じように「優生学思想」的な考えを持っていたことも伺える。

   フリーメイソンのメンバーであり、イルミナティのメンバーであったとも言われている。連中は一般市民のことを「ゴイム(家畜)」とみなしており、自分たちの利益のためなら、庶民大量虐殺することもまったく躊躇しないほどの、狂気に満ちた思想を持っていると言われている。
 左の写真は「フリーメイソンのエプロン」をつけたトルーマン

 日本の若者が政治に興味を失い、映画やドラマ、芸能界のゴシップに興味を奪われてしまっているなど、このトルーマンの言葉通り(3S)の世界に、現在の日本がなっている「事実」が恐ろしい。

 今の日本のメディア界で頂点に立っている電通は、CIAと直結している企業であると言われているし、読売や朝日などの大手の新聞や、日テレやフジなどの大手テレビ局も、CIAエージェントが社長を務めるなど、やはり「アメリカ裏社会の意向」が大きく反映されている企業である。

 米国は戦犯(アヘン密売人ー軍官僚4人を総理大臣にして、日本を実質植民地支配している。

 米国と戦犯(731部隊ー軍医密約は、T「ホロコースト」(ナチス・ドイツによる600万ユダヤ人への大量虐殺)、U「広島・長崎の原爆投下」原爆大量殺戮兵器破壊力を試す人体実験に並ぶ犯罪である。

 731部隊との密約「人体実験データ」は単に戦中の満州で「中国人・朝鮮人・ロシア人を実験材料にしたデータ」だけではなく、戦後の日本国内における「医療名目でやる、日本人材料にする人体実験のデータ」をも意味する帝国事件・薬害エイズ事件

 米国は原爆投下は日本にポツダム宣言を受諾させ、戦争を早く終結させるためだったと言うが、米国は「本当はどういう国」か、我々日本人は「アメリカの正体」を見定め、見直すときである。

 戦犯はことあるごとに「天皇陛下」、「天皇陛下」と言うが、担ぐもの「天皇」がなければ、助命されることはなかっただろう。戦犯とアメリカは「天皇を利用すること」で、利害が一致している。

 日本社会から「戦犯があるたちを追放しなければ、アメリカに永遠に搾取・弾圧され続け、「日本国の真の独立」と「日本国民の安寧(人権と生命の安全)」はない。

 【戦犯】とは、第2次世界大戦中、満州で(1)国策「麻薬(アヘン)密売」に従事した軍官僚と、(2)細菌戦の生物兵器の研究・開発・実戦使用で、人体実験(生体実験)に関わった731部隊軍医らで、戦後、アメリカ(CIA)と密約を交わし、助命と引き換えに、(T)日本植民地統治」(U)軍拡(軍備拡大)」(沖縄のみならず日本全土を前戦基地・日本国民を人体実験の材料にする生物兵器開発基地にする)に協力(隷属)した売国奴のことである。

戦犯「731部隊」

世襲総理大臣(日本)世襲大統領(米国)

 第2次世界大戦後、世襲で日本の「総理大臣」と米国「大統領」になったのは、戦争ビジネスで巨利を得た「日本の2家(麻薬密売)」と「米国の1族(武器商売)」のみである。彼らの選挙資金は麻薬密売と武器商売で得た「中国人・ロシア人・朝鮮人・日本国民・日本兵・アメリカ兵の無念血糊」がべっとり付着した(カネ)である。

日本の2家
 麻薬密売
吉田茂(祖父)と麻生太郎(孫)
岸信介(祖父)と安倍晋三(孫)
米国の1族
 
武器商売
ジョージ・H・W・ブッシュ(父親)と
 ジョージ・ウォーカー・ブッシュ(息子)

 粗末な外交能力しか持たなかった日本政府は、石油も鉄鉱石もないまま、米国との戦争に突入した。『金』もなく、戦争資金アヘ密売で稼いだ。

 日清戦争1894年(明治27年)〜1895年(明治28年)
 日露戦争1904年(明治37年)〜1905年(明治38年)
 満州国政権1932年(昭和7年)〜1945年(昭和20年)

■南満州鉄道(満鉄)
 日露戦争で
ロシアから獲得した南満州の鉄道とその付属事業を経営する半官半民の国策会社。1906年(明治39年)設立。満州国創立後は満州国有となった鉄道全部を経営、他の産業部門にも進出し、日本中国侵略拠点となった。
 後藤新平(医師・官僚・政治家)が南満州鉄道初代総裁に就任して「満州経営資金調達のために、アヘン国策として売買すべし」と主張して以来、アヘン密売は日本の国策だった。

 1932年(昭和7年)、日本軍は満州帝国を建国する。
 1939年(昭和14年)4月、三井物産三菱商事大倉財閥の共同出資で、満州に「昭和通商」という商社が作られた。

 実態は
陸軍直属麻薬密売組織特務機関で、取り仕切ったのは大物右翼
でやくざ里見甫(さとみはじめ)だった。表側の満州帝国総裁が後藤新平で、裏側の総裁が里見甫だった。

 第2次世界大戦中、岸信介は中国大陸で満州帝国国務院に勤務する軍官僚である一方、日本政府直属の麻薬密売人、里見甫(阿片王)が経営する、アヘン密売会社「昭和通商」で、吉田茂と共にアヘン密売に従事した。

 昭和通商で実業部隊としてアヘン密売に従事していたのが、戦後、自民党から出て首相になった「吉田茂(中国侵略軍の中核)、「岸信介(中国侵略の中心人物)、「池田勇人」(吉田茂直系)、佐藤栄作」(岸信介の実弟・鉄道官僚)4人である。

 里見甫の麻薬密売に関わった満州人脈で、極道も含めて、絞首刑になった者は1人もいない。

 里見甫は1945年9月に帰国し京都や東京に潜伏するが、1946年3月に民間人第1号A級戦犯容疑者としてGHQに逮捕され、巣鴨プリズンに入所する。1946年9月、極東国際軍事裁判に出廷して証言を行い、同月不起訴となり無条件で釈放される。その後は政治・経済の表舞台に現れることなく死去した。

 里見こそ「電通」が今のような広告会社になったきっかけを作った一人とされる。
 1947年「連合国最高指令官総司令部」により公職追放された上田硯三の後任として吉田秀雄が「電通」第4代社長に就任。
 広告取引システムの近代化に努め、軍隊的な社則「鬼十則」を作ったことは有名な話である。
 そんな電通から度重なる
「過労自殺」を出したことは、つい最近のことである。

 第2次世界大戦で日本人と米国人が殺し合う、その兵器日米両国ともブッシュ一族製造し、両者が殺し合えば殺し合うほど、ブッシュ一族に大金が転がり込む仕組みになっていた。

 満州帝国に武器を納入していたのは、ブッシュの配下の武器商人ポール・ブルームで、ブルームはまたOSS(CIAの前身)の欧州責任者アレン・ダレスの部下だった。ブルームの納入する「兵器軍事物資代金」は、「アヘン売買利益」で、里見甫が全額支払った。

 つまり「武器商人のブルーム(ブッシュ)」と「アヘン密売人の里見甫(吉田茂・岸信介)」は戦争ビジネスパートナーだった。

 当時、中国は国家が崩壊状態で、国の印刷する紙幣というものがなかった。日本政府の麻薬密売武器購入金塊で決済された。

 その金塊を供給していたのが南アフリカ金塊生産独占するオッペンハイマー一族であり、日本支部がブルーム一族(ポール・ブルームの両親はオッペンハイマー一族の末裔で、横浜で金塊取引を営んでいた。)だった。

 ブルームは1898年、日本で生まれた。中学卒業と同時に、本家のオッペンハイマーに呼び寄せられ、ジュネーブのハイスクールに入学する。そのとき、ブルームは「CIAヨーロッパ支局長アレン・ダレス」の下で、諜報員(スパイ)として訓練を開始する。

 CIAの創立資金を提供していたのがブッシュ大統領一族で、CIAの活動資金は、ブッシュ大統領一族の経営するユニオン銀行から出ており、ダレス(後にCIA長官なる)はユニオン銀行ヨーロッパ支店長でもあった。

 ブッシュ一族の役割はアメリカCIAを中心とした諜報活動や工作活動とされている。世界中の諜報機関や警察組織を彼らが牛耳っていると言われる。

 現在のブッシュ大統領一族は、オッペンハイマーのカナダ支部であるバリックゴールド社の経営者であり、オッペンハイマーの提供するダイアモンドを使ったドリル製造会社ドレッサー社の経営者である。

 米国政府に武器を売り付け「金儲け」をするブッシュ一族は、同時に部下のブルームを使い、日本に兵器と軍事物資(鉄鋼製品、ニッケル、チタン等の希少金属)を販売して利益を上げていた。

 ブッシュの命令で、ブルームが日本軍に「兵器」を運び、里見甫が「アヘン密売の利益」で支払った。

 米国との戦争を開始した
東条英機が、総理大臣になったときの選挙資金を出していたのが、ブッシュの戦争ビジネスパートナーの里見甫だった。日本と戦争を始めたルーズベルトの大統領選挙資金を出していたのもブッシュ一族だった。

 ブルームは第2次世界大戦後、CIA初代日本支局長になり、吉田茂を連日呼び付け、日本を米国の支配下に置くための様々な命令を下した。

 そうやって、
「アヘン密売吉田茂」「武器密売ブルーム」「首相」「CIA日本支局長」として、事実上、戦後の日本の進路を独裁的に決定して行った。

日本植民地化の構図

吉田 茂   ポール・ブルーム
 満州で里見甫が経営するアヘン密売会社「昭和通商」の社員で、アヘン密売の実業部隊の1人
 武器密輸商
 イスラエル最大の軍事産業アイゼンブルグ社の経営者ショール・アイゼンベルグと親友
アヘン密売   武器密売
首相    CIA初代日本支局長

 米国の戦争ビジネスは第1次世界大戦以来のものである。米国は戦争立国である。

 第1次世界大戦中、米国は連合国に物資・借款(戦債)を提供して大きな利益を上げ、戦後は債務国から債権国に転じて、国際金融市場の中心になった。イギリス・フランスなど旧連合国の債務返済免除の要請を拒否し、さらに、国内市場を高関税政策によってまもったので、世界の富が米国に集中する構造(米国だけに金がたまる)がつくられた。

 戦後、戦犯日本社会(政界・官界・財界・医学界・医療業界:製薬企業・メディア)の要職返り咲き、アメリカの言いなりになって(ギャングの親分と子分の関係)、日本を破滅へと駆り立てている。 

 一方、1948年(昭和23年)12月23日(皇太子の誕生日)に、極東国際軍事裁判(東京裁判)で死刑を言い渡された「A級戦犯」7名の絞首刑が執行された翌日、戦争犯罪人として巣鴨拘置所に収監されていた岸信介は、CIA日本工作員になることを条件に助命され、巣鴨から釈放されると、満州帝国の日本語新聞「大陸新報」の社長であった福家俊一と密談を重ね、日本に新しい政党を作る準備を始める。

 福家は満州時代、アヘン密売を巡り、里見の情報屋として、新聞「大陸新報」の情報ネットワークを駆使して、他のアヘン密売業者を摘発し、里見は福家の情報の下、他の密売人を次々に殺害して行った。

 1957年(昭和32年)、岸は里見アヘン資金(里見の遺産)で首相になると、6月、即座に訪米し、アイゼンハワー大統領ロックフェラー三世(ブッシュのボス)と会談し、米軍日本永久駐留させることで同意する。

 自民党と歴代4人もの総理大臣がCIA日工作(CIAの下部組織)として作り出された歴史が、中国(満州)麻薬密売組織の中に明確に浮かび上がってくる。その中で、吉田茂岸信介の2人は米国占領策を忠実に履行して、首相として戦後日本政治の方向(アメリカの植民地化の基盤)を定めた。

 アメリカは、(1)戦犯を使って、サンフランシスコ平和条約(吉田茂)と非核三原則の沖縄返還(佐藤栄作)で、日本を独立国家のごとく外観を装い、(2)戦犯を使って、旧安保条約(吉田茂)・新安保条約(岸信介)・核付き沖縄返還(佐藤栄作)で、日本の植民地支配を強固にした。

 米ソの冷戦激化という国際情勢の変化でGHQGUウイロビー部長日本再軍備を画策し、『日本反共防波堤』にするために、戦犯の釈放に熱心に取り組んだ。右翼的な戦犯であっても、米国の反共政策に協力的な人物は復権させた。

 岸自身も「
冷戦が悪化すればを絞められずにすむ、それがわれわれの頼みであった」と回想している。その岸の読みが当たった。

■昭和天皇(1901年・明治34年生)
 
四十にして惑わず(不惑)

1941年(昭和16年)アジア太平洋戦争に突入   40歳
1945年(昭和20年)敗戦  44歳

■鈴木貫太郎(海軍大将)内閣

1945年4月07日〜同年8月17日
非国会議員、
江戸時代生まれ、日清日露戦争従軍、満77歳2ヶ月で内閣総理大臣に就任。信念「軍人は政治に関与せざるべし」。2度の暗殺未遂事件(二・六事件、終戦時の宮城事件)。「君側の奸」。陸軍の反対を押し切って、ポツダム宣言受託により第2次世界大戦を終戦に導いた。 

■吉田茂内閣
 吉田茂は
大日本帝国憲法下での最後首相である。
 CIA(ポール・ブルーム)の指令により、
戦後国際関係における日本
路線を方向づけた。
 結果、日本は世界の国々が揶揄する「アメリカの属国(属国体制の成立)」「正義の通らない国」となる。

第一次
第45代内閣
 68歳
 
1946年5月22日〜1947年5月24日
 内閣総理大臣兼外務大臣 日本自由党総裁
 
・日本国憲法の公布施行
 
・第2次農地改革を実施
 インフレの高進による労働運動激化の中で、1947年
GHQ二・一ストを禁止し、4月総選挙実施指示
 日本自由党が日本社会党(片山哲)に第一党を奪われたために内閣総辞職。
 
逆らえば消されるの関係で、大日本帝国憲法改正など占領政策に殆ど反対だったが、「よき理解者(CIAの工作員)」として、マッカーサーに付き従った。
 
アメリカ論功行賞狙い米国追従一辺倒)の「砂川事件大法廷判決」で、悪名高き第2代最高裁長官だった田中耕太郎文部大臣だった。
第二次
第48代内閣
 70歳 
1948年10月15日〜1949年2月16日
 内閣総理大臣兼外務大臣
 芦田均内閣が昭和疑獄で総辞職後に組閣。  経済復興に力点を移した
米占領政策に忠実に経済安定九原則を実施。吉田茂直系の政治家として、池田勇人が蔵相に就任して具体化を推進した。
 
早期解散に向けて、国家公務員法を改正してスト権団体交渉権を剥奪。
 12月
「なれあい解散」(総選挙により政権基盤を確立しようとして、野党と打ち合わせ、12月23日野党が内閣不信任案を提出、与党も賛成して可決し、衆議院を解散)。
 1949年1月総選挙で民自党は264議席を確保。
 
第三次
第49
代内閣

 72歳
 
1949年2月16日〜1952年10月30日
 内閣総理大臣兼外務大臣
 
民自党絶対多数の上に立ち米国占領政策を忠実に履行。強力内閣を企図して民主党犬養派と連立。
 ・ドッジラインによる均衡予算の実施
 ・団体等規正令
 ・労働法改正などで
治安強化
 ・
下山三鷹松川事件(国鉄三大謀略事件)を利用して、共産党と労働運動を弾圧
 ・
朝鮮戦争(1950年・昭和25年)が始まると、GHQ指示警察予備隊創設による日本軍再軍備、レッド・バーンと「逆コース」に協力した。

 また
吉田学校
『昭和通商』同窓会)に集う旧官僚(軍官僚)の政界進出を図り、アヘン密売の実業部隊の池田勇人佐藤栄作両首相につながる保守本流路線(戦犯売国奴路線)を確立した。 

■サンフランシスコ平和条約(単独講和)を締結
 
署名1951年(昭和26年)9月8日
 日本国内では、
アメリカとの単独講和」■「ソ連や中華民国(国民党政権)も締結すべきとする全面講和」とが対立。 
 
単独講和とは、自由主義(資本主義)国家陣営に属し、またアメリカとの二国間軍事同盟を締結してアメリカ軍部隊のみ「在日米軍」とし駐留を引き続き維持させる立場、実際には52国が講和条約に参加しており、そのために多数講和または部分講和ともいわれる。
 ・ソビエト連邦は会議に出席したが条約に署名しなかった。
 ・インドネシアは会議に出席し条約に署名したが、議会の批准はされなかった。
 ・中華民国及びインドは会議に出席せず。
 (その後、日本はインドネシア、中華民国、インドとの間で個別に講和条約を締結・批准している。)
 
全面講和論者都留重人は「単独講和とは、共産主義陣営を仮想敵国とした、日米軍事協定にほかならない」としている。
 1950年5月3日の自由党両院議員秘密総会で
吉田茂首相は「永世中立とか全面講和などということは、云うべくして到底行われないこと」で、「それを南原総長(東京帝国大学総長)などが政治家の領域に立ち入ってかれこれ言う事は曲学阿世の徒に他ならない」と批判した。
 南原繁は「学者に対する権力的弾圧意外のものではない」「官僚的独善」と応じ、
■「全面講和国民何人もがするところと主張した。
 当時、
自由党幹事長だった佐藤栄作は、南原に対し「党は政治的観点から現実的な問題として講和問題をとりあげているのであって」「象牙の塔にある南原氏が政治的表現をするのは日本にとってむしろ有害である」と応じた。

 
アメリカとの事前交渉
 
1950年6月21日〜27日にかけて国務長官顧問のジョン・フォスター・ダレスが来日した。また1951年1月29日には吉田・ダレス会談が行われている。
 吉田茂は
朝鮮戦争勃発を講和
の好機到来と考え、秘密裏に外務省の一部に講和条約の叩き台を作らせていた。更に表向きは経済交渉という触れ込みで池田勇人を訪米させ、この講和条約案を直接アメリカ国務省と国防省の高官に内示することにより、講和促進を図ったことが明らかになっている。
 
講和条約「CIA」
アヘン密売実業部隊(吉田茂佐藤栄作池田勇人)」の出来レースだった。

■日米安保条約(旧)締結
 
同じく1951年9月8日、講和条約に続いて日本とアメリカ合衆国の代表は、サンフランシスコ市内プレシデイオ陸軍基地内にある下士官集会所に移動、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約に調印した。
 日米安全保障条約には
首席全権代表吉田茂単独署名した。吉田は同行した池田勇人蔵相に対して、「この条約はあまり評判がよくない。君の経歴に傷が付くといけないので、私だけが署名する」と言い、署名の場に同席することを許さなかった。
 そうやって、
秘密裏に、日米安保体制の基本線を敷いた。武器商人とアヘン密売人の闇取引で、日米国家間の条約ではない。

 全面講和論を退けて、自由主義諸国と対日講話条約を結び、さらに日米安全保障条約の締結によって、
アメリカ冷戦戦略に日本を組み込むこととなり、外交自主性を失ったという批判は絶えない。また講和に向けて破壊活動防止法の制定などを推進した。

 だが、公職追放解除後、政界復帰した鳩山一郎ら党有力者の
反吉田勢力が台頭すると、吉田ワンマン体制は動揺をきたし1952年8月「抜き打ち解散」した。

第四次
第50代内閣

 74歳
 
1952年10月30日〜1953年05月21日
 吉田派と鳩山派が首班問題でも激突したが、結局吉田が首班となった。
 
鳩山派は民主化同盟を結成し、1953年3月吉田の議会での「バカヤロー」発言を機に不信任案を成立させた。吉田は解散を以て対抗した。
 社会党右派の西村栄一議員との質疑応答中、痛いところを突かれ、答弁に窮した吉田が悔しさのあまり、小さい声で「バカヤロー」と呟いた。それを偶然マイクが拾い、気づいた西村が「無礼じゃないか」と咎めたため、騒ぎが大きくなったというのが実態。 
第五次
第51代内閣

 75歳
  
1953年05月21日〜1954年12月10日
 
自由党少数単独内閣 
 
選挙の結果は保守党が全体に後退、自由党も過半数に達しなかった。
 改進党に助けられて、
軍人恩給法独占禁止法改正スト規制法教育二法警察法改正MSA協定を実現した。
 だが
憲法改正再軍備をめぐる保革対立が顕在化し、党内外反吉田勢力の動きも活発化するなかで、党幹部を巻き込んだ造船疑獄が発覚して、「国会内外の非難」と「党内反吉田派大量脱党」で、1954年12月総辞職し、後を鳩山一郎に譲った。

 反安倍派(石破茂氏)に安倍を追放する気概がありやなしや。

 造船疑獄:1953年〜1954年に起こった、造船融資の利子負担軽減にからむ海運・造船業界と政官界との贈収賄事件。自民党政治家が多数取り調べを受けたが、法相犬養健指揮権発動により幹事長佐藤栄作に対する逮捕要求が阻まれた。池田勇人も疑惑を残したが、54年自由党幹事長に就任。

 米国は酷い国である。絞首刑にするか、刑務所に入れておかなければならない犯罪者たちを釈放し、総理大臣にした。犯罪者が総理大臣の国。日本が法治国家であるはずがない。


・1963年10月24日(85歳) 衆議院解散に伴い政界引退
・1964年4月 
マッカーサー国葬に参列(日米密約一家の仁義)
・1967年10月20日(89歳) 神奈川県大磯の私邸で死去
・1967年10月31日 
国葬(戦後唯一の国葬) 
 戦犯政府(佐藤栄作内閣)は売国奴の葬儀を国葬に祭り上げた。

A級戦犯岸信介首相カムバック

 『東京裁判のその後』ー裁かれなかったA級戦犯 釈放後、再び日本の指導者に復活した!
 
前坂敬之オフィシャルウエブサイト(引用)

 岸は巣鴨拘置所から釈放された後、1953年(昭和28年)に『バカヤロウ解散』後の総選挙で当選する。攪乱戦法(敵の陣営にスパイを送り込む)で、反吉田グループとして、鳩山一郎、三木武吉らとともに、日本民主党(民主党)を結党して、その幹事長になり、「吉田自由党」「鳩山民主党」の保守合同に力を尽くした。岸は三木武吉と共に、自由党の石井光二郎、大野伴睦らと協議して、ついに保守合同を実現させた。現在まで続く55年体制の始まり「自由民主党」誕生の功労者の1人が岸である。
 こうして、巣鴨プリズンから12年後に、総理大臣ポストに登りつめる。
ツキ(?)も大いに味方した。
 総理レースの過程では強敵が次々に脱落していった。鳩山一郎首相の後継者候補だった、A級戦犯不起訴組の緒方竹虎と禁固7年の重光葵が相次いで急死して、一挙に岸幹事長が有力候補に浮上した。
 1956年(昭和31年)12月、鳩山首相辞任のあと、初の総裁選が行われ、石橋湛山と争ったが7票差で破れ、同年12月、石橋内閣が誕生するが、就任70日で石橋首相は病気で辞任して、翌1957年(昭和32年)2月、総理の座が自動的に岸に転がり込んだ。

 
政治的スローガン(米国日本占領政策)

 保守合同  保守をアヘン密売人グループ1本に集約
 安保改定  日本を東南アジアと極東の基地にする。
 自衛隊をアメリカ軍にする。
 自主憲法  日本を戦争ができる国にする。

 
日本国憲法9条のみの問題ではない。
 第1次世界大戦(1914年7月28日〜1918年11月11日)後、1928年、フランスのブリアン外相と米国のケロッグ国務長官の提唱で、
不戦条約(ブリアン・ケロッグ条約)が15カ国(のちに63カ国)によって調印され国際紛争解決手段として
戦争に訴えないことが誓われた。これが日本国憲法に取り入れられている。英文が元(不戦条約)に(記載して)ある。

 岸内閣が直面した最大の政治課題は日米安保条約改定だった。

 しかし、野党の強力な抵抗、全学連、市民団体の激しい反対闘争にあり、「60年安保」では、学生らの国会乱入事件、アイゼンハワー米大統領の訪日中止といった戦後最大の騒乱状態となった。

 ここで、巣鴨戦犯学校の同期生の
児玉誉士夫強力助っ人として登場する。岸は、警備不足を補うため、児玉らに、右翼暴力団宗教団体の取りまとめを依頼した。児玉は、警視庁と打ち合わせた結果、約2万人を動員して、警官隊とともに配置して、学生や市民団体と衝突した。

■岸信介内閣


 
1896年(明治29年)11月13日生。
満州国総長次長商工大臣(東条内閣閣僚)、衆議院議員、自由民主党幹事長、外務大臣、内閣総理大臣などを歴任し、「昭和の妖怪」と呼ばれた。
 昭和戦前は「革新官僚」の筆頭格として陸軍からも関東軍からも嘱望された。


第一次
第56代内閣
 61歳
 
1957年02月25日〜1958年06月12日
 東南アジア開発資金構想など,日米関係更新目標におく。
 石橋首相の病気辞任後成立。全閣僚とその施策を石橋内閣から引き継いだ。だが1957年7月、内閣改造により自前の政権をつくった。
 外相に財界の巨頭藤山愛一郎を起用し「経済自主外交」を推進した。
 日韓会談を再開する一方、賠償問題の解決を軸に海外市場の開拓、資金援助を通して東南アジア諸国への経済進出の足場をつくった。
 
「第一次防衛力整備計画」を閣議決定した直後の同年6月、日米会談で日米安全保障条約再検討のための日米委員会設置を決め、「日米新時代」到来を謳歌した。
 反面、
日中貿易を1958年5月全面停止させ、前内閣以来の日中関係改善の動きに終止符を打った。
 1957年12月
「新長期経済計画」を策定、高度成長経済政策を実施するなかで政・財界癒着構造をつくりだした。
 1958年4月社会党と「話し合い解散」し、5月第28回総選挙を行った。
 
第二次
第57代内閣
 62歳
 
1958年06月12日〜1960年07月19日
 革新勢力との対決姿勢を強く打ち出した。
 まず
教育統制を強める文教政策を実施した。  日教組反対運動のなかで「管理職手当法」制定(1958年7月)、道徳教育義務化(同年8月)、教職員勤務評定実施(同年9月)を行った。
 1958年10月、治安対策強化をねらいとして警職法改正案を国会に提出したが、大衆的な反対運動と党内反主流派の批判表面化によって廃案となった。
 以後、岸内閣はおもな課題を
日米安全保障条約改定に移し、1960年1月新条約に調印した。  5月19日、政府が国会で同条約を強行採決するに及んで、1959年秋以来高揚してきた反対運動は爆発的に盛り上がり、連日国会包囲デモが展開された。
 こうしたなかで6月15日未明デモ隊と警官隊との衝突で死者を出すに至り、岸内閣は
米大統領アイゼンハワーの訪日中止を要請。結局、新条約自然成立した。
 岸内閣は総辞職し、
池田勇人内閣が後を受け継いだアヘン密売実業部隊戦犯内閣たらい回し

60年安保
■ 衆議院通過までの過程
 1951年(昭和26年)に締結された安保条約は、1958年(昭和33年)ごろから自由民主党岸信介内閣によって改定の交渉がおこわれ、1960年(昭和35年)1月に岸首相以下全権団が訪米、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領と会談し、「新安保条約の調印」と「同大統領の訪日」で合意。1月19日
新条約調印された。

■ 満州麻薬人脈やくざ助っ人登場
 5月19日衆議院日米安全保障条約等特別委員会で新条約案が強行採決され、続いて5月20日衆議院本会議を通過した。委員会採決では、自民党は座り込みをする社会党議員を排除するため、右翼などから屈強な青年達を公設秘書として動員し、警官隊と共に社会党議員を追い出しての採決であった。これは、6月19日に予定されていたアイゼンハワー大統領訪日までに自然成立させようと採決を急いだものであった。本会議では社会党・民社党議員は欠席し、自民党からも強行採決への抗議として石橋湛山河野一郎松村謙三三木武夫らが欠席、あるいは棄権した。

 その結果、「民主主義破壊である」として一般市民の間にも反対の運動が高まり、国会議事堂の周囲をデモ隊が連日取り囲み、闘争も次第に激化の一途をたどる。反安保闘争は次第に反政府・反米闘争の色合いを濃くしていった。
 これに対して岸首相は、警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、児玉誉士夫を頼り、自民党内のアイク歓迎実行委員会委員長の橋本登美三郎を使者に立て、暴力団関係者の会合に派遣した。松葉会藤田卯一郎会長、錦政会稲川角二会長、住吉会磧上義光会長、「新宿マーケット」のリーダ
ーで関東尾津組尾津喜之助組長ら全員がデモ隊を抑えるために手を貸すことに合意した
 さらに右翼と暴力団で構成された全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者もいる日本郷友会、岸首相自身が1958年に組織し木村篤太郎が率いる新日本協議会、以上3つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請した。
 
当時の「ファー・イースタン・エコノミック・レビュー」には博徒暴力団恐喝屋テキヤ暗黒街のリーダー達を説得し、アイゼンハワーの安全を守るため『効果的な反対勢力』を組織した。最終計画によると1万8000人の博徒、1万人のテキヤ、1万人の旧軍人と右翼宗教団体会員の動員が必要であった。そこで岸首相は創価学会の会長に就任したばかりの池田大作に対し、大阪事件の裁判で無罪を言い渡すという交換条件を示して協力を依頼したが、これは断られたという。彼らは政府提供のヘリコプター、小型機、トラック、車両、食料、司令部や救急隊の支援を受け、さらに約8億円(約230万ドル)の『活動資金』が支給されていた」と書かれている。
 岸首相は、「国会周辺は騒がしいが、銀座後楽園球場はいつも通りである。私には『声なき声』(サイレント・マジョリティの意)が聞こえる」と語った。しかし、元首相3人(石橋東久邇稔彦片山哲)までが退陣勧をするに及び、事態は更に深刻化していった。
 6月10日には東京国際空港(羽田空港)で、アイゼンハワー大統領訪日の日程を協議するため来日したジェイムズ・ハガティ大統領報道官(当時の報道表記は「ハガチー新聞係秘書」)が空港周辺に詰め掛けたデモ隊に迎えの車を包囲されて動けなくなり、アメリカ海兵隊のヘリコプターで救出されるという事件が発生(ハガチー事件)。
 6月10日には、暴力団と右翼団体がデモ隊を襲撃して多くの負傷者を出し、機動隊が国会議事堂正門前で大規模に国会内に突入してきたデモ隊と衝突し、デモに参加していた東京大学学生の樺美智子が圧死した。在京局で唯一中継をしていたラジオ関東島碩弥警棒で殴られ負傷した。21時に開かれた国会敷地内での全学連抗議集会で訃報が報告されたことで、警察車両への放火等を行うなど一部の学生が暴徒化し、負傷学生約400人、逮捕者約200人、警察官負傷約300人に上った。国会前でのデモ活動に参加した人は主催者発表で計33万人、警視庁発表で約13万人という規模にまで膨れ上がった
 このように激しい抗議運動が続く中、岸首相は15日と18日
■赤城宗徳防衛庁長官対して陸上自衛隊治安出動要請した。東京近辺の各駐屯地では出動準備態勢が敷かれたが、■石原幹市郎国家公安委員会委員長反対し、■赤城防衛庁長官出動要請拒否したため、「自衛隊初の治安維持出動」は回避された(安保闘争ーWikipedia引用)。
 後日赤城防衛庁長官は「デモ隊といえども、自国民(日本国民)に銃口は向けられない」と言った。

  ゴルフ好きであった岸を会談の合間にゴルフに誘い出し、一緒にゴルフコースを回ったのは、常に祖父プレスコット・ブッシュであった。
 ブッシュと岸がゴルフをしている間に、ブッシュの経営する軍事産業専門の投資会社カーライルの子会社、デュロン銀行社長ダグラス・デュロン国務次官が、日本に米軍を常駐させる日米安保条約の素案をタイプし、また日本の自衛隊に売り付ける兵器の見積もりを計算していた。

きな臭い戦争屋息子
父ブッシュの港湾戦争
息子ブッシュ(「戦時大統領」と自称)の9.11同時多発テロ

右翼に刺された売国右翼岸信介
当時右翼岸信介売国認定
それが襲撃の理由だった

 孫であるニセ右翼で売国奴の安倍晋三が尊敬してやまない、ニセ右翼売国奴岸信介が安保がらみで総理を退陣表明後、本物右翼に襲撃を受け刺傷し、官邸から避難するところです。噂ではこの時失禁してたとか。孫のシンゾー並なノミ心臓よね(金沢京子のブログ)。

 1965年(昭和40年)、里見が亡くなると、が「里見資金」を引き継ぐ後継者になった。そのの「(巨額麻薬資金)」と満州人脈を引き継いで、首相になったのが孫の安倍晋三である。


軍靴足音がいよいよづいている
2019年9月19日
 日刊ゲンダイ
安倍首相またまた爆買


 東条英機が処刑された翌日、笹川良一、児玉誉士夫、小佐野賢治ら満州極道も一斉に釈放された。

CIA庇護を受け続ける
戦後
をつくった満州人脈
日本を無法国家・やくざ国家にした

現・元首相4人を集めた笹川洋平の日本財団
小泉純一郎・安倍晋三・麻生太郎・森善朗


皆、アヘン密売『裏』社会で通じている


一見して親分は笹川洋平
北の将軍様の面前と同じ
他者に負けじと
大笑いしないと後が怖い
次期総理の椅子を狙う進次カ議員の父親も頑張っている

第58代内閣  池田 勇人  1960ー1960   第1次
第59代内閣  池田 勇人  1960ー1963   第2次
第60代内閣  池田 勇人  1963ー1964  第3次
第61代内閣  佐藤 栄作 1964ー1967  第1次
第62代内閣  佐藤 栄作  1967ー1970   第2次
第63代内閣   佐藤 栄作 1970ー1972    第3次
第64代内閣  田中 角栄  1972ー1972   第1次
第65代内閣  田中 角栄  1972ー1974   第2次
第66代内閣  三木 武夫  1974ー1976    

 はっきりしていること:「昭和通商」のアヘン密売の実業部隊出身者の内閣在任期間は長期で、そうでない者の内閣在任期間は短い。各戦犯一人に課せた「CIA対日工作ミッション」が達成されるまでは、その内閣(総理大臣)を存続させる。ミッションが達成されると「ごくろうさん」と幕引きで勲章が授与される。つき沖縄返還を成し遂げた佐藤栄作首相は、非核三原則大虚言でノーベル賞を授賞した。勲章もノーベル賞も「米国(CIA)戦犯密約犯罪」を隠蔽するために仕組んだ、日本国民真実から目を背けさせて煙に巻くセレモニーである。しかし、お天道様は密約犯罪をお見通しである。

■ロッキード事件(WEBマガジン)

   

 1976年2月、アメリカ上院議会が開いた公聴会の中で突如、発覚した情報が発端となり、ロッキード事件は幕を開けた。その内容は、当時のアメリカの航空機メーカー大手であったロッキード社が、自社のジェット旅客機L1011トライスターを販売するため、世界各国で贈賄を行っていたというもので、各国には日本も含まれていた。
 日本で使われた
賄賂総額30億円で、そのうち丸紅を通じて5億円が元首相である田中角栄に渡ったとされ、世間でセンセーションな話題となった。
 30億円は複数のルートに分けられ日本に送られた。
 
1つ目は代理店である商社丸紅を介して田中角栄に贈賄したという丸紅ルート
 
2つ目は「影のフィクサー」と呼ばれていた児玉誉士夫に販売コンサルタント料として21億円渡ったとされる児玉ルート
 
3つ目全日空ルート。ロッキード社は日本の大手航空会社である全日空からの発注を何としても勝ち取りたかった。賄賂額は、佐藤孝行衆議院議員が200万円、橋本登美三郎衆議院議員が500万円を受け取ったとされる。

 
丸紅ルートが5億円、児玉ルートが21億円、そうなると全日空に渡ったリベート4億円という計算になるが、しかしながら、全日空ルート全体額不明で明らかになっていない。この点も不可解な1つといえる。

 ロッキード事件最大の謎は児玉ルートの21億円。
児玉誉士夫の裏の顔、アメリカ側の証言などから考えて、児玉ルートこそロッキード事件の核心で、児玉誉士夫こそロッキード事件の全貌を知っていた。
 しかし、児玉誉士夫の抗戦方法は徹底しており、衆議院の証人喚問は病気と称して家にこもり全て欠席。起訴された裁判には、1度出廷した以外は、入院して、判決が出る直前に死亡してしまい、ロッキード社から得た21億円の行方は闇に消えてしまった
 

 アメリカ陰謀説
 
ロッキード事件の諸説の中でも、まことしやかに囁かれたのがアメリカの軍用機を巡る話でした。ロッキードの真の狙いは、自社の軍用機P-3Cが日本で採用されることだったというのです。その根拠は2点でした。
 1つには全日空のL1011トライスター採用はほぼ決定済みで、その状況で児玉ルートの21億円は必要の無い賄賂だというのです。
 もう1つは、当時の
自衛隊ではP-3C同系統軍用機は国内開発・製造する計画が立てられていました。これを覆す資金役割こそ児玉ルートだった。
 このことが明るみになってしまったら、「
アメリカ政府まで巻き込み、日米の政治家、役人、軍人、巨大企業で数多くの逮捕者が出ただろう」というものでした。
 だから、アメリカから寄せられたロッキード事件の情報は、アメリカ政府により「
内容操作されたものだ」というのがアメリカ陰謀説です。

 
田中角栄スケープゴートだったとも
 ロッキード事件のアメリカ陰謀説を別の視点で捉えたものもあります。田中角栄以前の日本の首相はほぼアメリカの言いなりだったのが、
田中角栄日本独自路線標榜していた(日中共同声明ー1972年9月27日、日本と中国の戦争状態を終結させ、国交を正常化したことを発表した。日本側は中華人民共和国を中国の唯一の政府と承認、中国側は戦争賠償請求権を放棄した。)。
 つまり、アメリカの言うことを聞かない田中角栄を危険視していたというのです。そこで、『真相』を闇に葬ると同時に、『邪魔存在』を消すことを意図したのでした。
 特に日本において「当時、絶大な人気があった元総理大臣逮捕というインパクトの大きさ」で、「児玉ルートがうやむやにできるとも考えた」のかもしれません。
 ロッキード事件の被告は田中角栄などの政治家だけではない。児玉誉士夫、小佐野賢治、丸紅や全日空の当時の責任者である役員たち、一般人も数多く起訴された。そして、全て有罪判決を受けるが皆、控訴している。そして主要人物のほとんどは控訴審の最中で亡くなっている。  最高裁上告の階段を外され、被疑者死亡により公訴棄却、審理打ち切りで有罪確定という結末になっている。

 
関係者の続く不審死
 ロッキード事件の不可解な謎となっているものが複数の関係者の不審死。「事件を追っていた新聞記者」、「児玉誉士夫の元通訳」、「田中角栄の運転手」の3人が1976年の間に立て続けに亡くなっている。

 したがって、憲法改正(日本を戦争ができる国にする)がなるまでは、どんなに露骨で汚い手を使ってでも、アメリカは安倍世襲戦犯売国奴ロボット内閣を存続させる。内閣の在任期間の経緯は吉田茂のパターンに酷似している(台本の焼き直し)。

第90代内閣   安倍 晋三  2006ー2007    第1次
第96代内閣  安倍 晋三  2012ー2014   第2次
第97代内閣   安倍 晋三 2014ー2017   第3次
第98代内閣   安倍 晋三 2017〜   第4次

 CIAICチップで操作される、安倍売国奴ロボット首相(62歳)の所信演説原稿:「力強く」「間をとる」「コップの水を飲む」(2016年9月27日付日刊ゲンダイ
 ロボットに自前の脳はない。良心も良識も空っぽ。日本国の恥。こんな愚か者をいつまでも総理にしておいてはならない。

「力強く」「間をとる」

「コップの水を飲む」 
安倍はちっとも恥ずかしくない
自尊心はインプットされていない

 安倍一強絡繰り
 
筋書も演出もアメリカがやる。
 田中角栄は無惨だった。

 逆らうと死ぬんだ。だから皆腰がひけるのか。死者を賤しめる残忍な手口と報道。死者に口なし。
 誰かが言っていた。事件現場に一番先に踏み込むのは警察官。彼らが証拠品・遺書を握り潰すこと(隠蔽すること)は可能である(それが彼らの手柄になる)。

 安倍政権に関わって不審な死を遂げた人物一覧
その背景や暗殺の疑いについて考察するツイート
ガラバゴス速報 Twitterまとめ&はてな村ウォッチ

1 2006年 竹中省吾裁判官
住民基本台帳で違憲判決を出した。
2006年12月3日、第一次安倍政権時の不審死。竹中省吾裁判官
、住基ネット(今のマイナンバーの前身)に「違憲」判決を出した3日後自殺
2 2006年 鈴木啓一 朝日新聞記者
1988年リクルート事件のスクープをするなど、朝日新聞の看板記者であった。りそな銀行による自民党への政治献金(自民党への融資残高)3年で10倍になっていることを記事にし東京湾に浮かぶ。 
3 2007年 石井誠 讀賣新聞政治部記者
郵政民営化や竹中平蔵氏の私的懇談会「通信・放送の在り方に関する懇談会」が進めるNHKの組織改革、NTTの解体などについて批判的な記事を多数執筆していた。
読売政治部記者の石井誠氏が変死 自宅で手錠&口の中に靴下が詰め込まれた状態でその上から粘着テープをはってあった 後ろ手に回した両手には手錠、左手に手錠の鍵を持っていた 頭部を玄関方向に向けており、左側体部を下にした状態で、上下の服は着ていた SMプレー中の事故死と処理 警察ちゃんとしろ  
4 2007年 松岡利勝農水省相 

2007年5月28日、衆議院議員宿舎(新赤坂宿舎)の自室(1102号室)で首を吊って心肺停止状態となっているところを発見され、搬送先の慶応義塾大学病院で死亡が確認された。現職国務大臣の自殺は日本国憲法下の日本では初めてのことであった。
Libertarianism@yosizou_k
松岡利勝 2007.5.38 自殺には謎が多すぎる。もともとこの人は腹黒一色だったのだろう。だが、BSEに汚染された米国毒牛輸入の解禁には抵抗を続けた。邪魔になって米国に暗殺されたという説は根強い。2010年08月20日 11:50:46

5 2007年 山崎進一緑資源機構元理事

マンションから転落死。

2007年に松岡利勝農林水産大臣らに政治献金をしていた疑惑が浮上。5月26日に官製談合疑惑で自宅を家宅捜索し、同日から28日まで事情聴取。28日、松岡は自殺。山崎は29日午前5時過ぎ、森林開発公団による官製談合事件の調査のさなかに投身自殺した。午後から聴取を行う予定だった。

6 2013年 加賀美正人内閣情報調査室参事官

外務省ロシア担当キャリア。練炭自殺。
Yasu@yasu_yasuno_sa
恵比寿にあるマンションの浴室で、内閣情報調査室の加賀美正人参事官(50)が死亡しているのが見つかった。浴室内で練炭がたかれた跡があり、当局は自殺とみて調べている
 
・・・加賀美正人氏は「鈴木宗男にぶん殴られた」と嘘の発言」 2014年03月01日 11:25:09

7 2013年 ガチャ規制を推進していた神宮司史彦 消費者庁審議官 
妻と一緒に飛び降り自殺。
消費者庁のナンバー3の官僚が自殺 奥様も自殺 同じ日に自殺だけど別々の場所で自殺 うん 事件性はないですよね(白目)  
8 2013年 神宮司史彦 消費者庁審議官 

ガチャ規制を推進していた。妻と一緒に飛び降り自殺。
概念主義者 ニートリアージ 我輩は猫以下@tokoroten510
消費者庁審議官の神宮司史彦(じんぐうじ・ふみひこ)(52)と妻(53)で、搬送先の病院でいずれも死亡が確認された。部屋から妻が書いたとみられる遺書が見つかった。家庭内のトラブルが記されており、同署は2人が飛び降り自殺を図ったとみている。(毎日新聞)、 遺書 遺言 神宮司久美子
 

9 2014年 岩路真樹 報道ステーションディレクター  
原発問題を追っていた報道ステーションディレクター。部屋のドアを目張りして練炭自殺。生前、「自分は絶対自殺しない、死んだら消されたと思ってください」と言っていた。
ボビー・ブラウン@po_jama_people
岩路真樹 2014.8.30 TV朝日「報道ステーション」ディレクター 甲状腺と被爆の関係や手抜き除染等の番組制作→「自殺」 これを追求しようとした写真週刊誌フラッシュは当該号販売中止。  
10 2015年 神原紀之内閣惨事 

特定秘密保護を治安維持法と批判していた。屋久島の岩場で死体で見つかる。
しらゆき@nam1975
内閣府参事官 …どう考えても消されたよね。 何で台風接近時の屋久島に一人で登山行くんだよw 2015年07月25日 00:38:30
 
自殺の9割は他殺である 元東京キ監察医務院長上野正彦
 

11 2016年 自民党山田賢司議員の秘書 
山田議員の不正を週刊誌に告発した秘書が「検察に行く」と言い残し、練炭自殺。 
12 2016年 UR所管国交省職員

甘利大臣が入院した後、合同庁舎3号館より飛び降り自殺。
対米独立!!@qsatoh
8月の時効まで死んだふりするつもりの甘利明。UR問題が出てから、国交省の若手職員が庁舎で飛び降りてのがあった(自殺???)。直の担当者だったって噂もあった。舛添もカスだが、甘利の方がはるかに悪質。 2016年05月12日 04:44:58  

13 2017年 秋山肇社長 森友学園疑惑 

森友学園問題で疑惑の小学校から残土搬出を請け負っていた会社、田中造園土木の社長
りんりん@mairairmai27
森友学園の8億円値引きの根拠となった残土処理を請け負っていた、藤原工業の下請けの「田中造園土木の秋山肇社長」ですよね…警察は(豊中市役所のトイレで?)自殺として処理、家族は心臓発作と主張が食い違っていた状態にも関わらず、亡くなった翌日にはお通夜をされていたという不可解な話です。
兵頭正俊@hyodo_masatoshi
今回の籠池のメール暴露は、田中造園土木の秋山肇が、『毎日新聞』の取材に、「国にいわれて埋め戻しした」と証言したこととの整合性を証明するものだ。
秋山、ゴミがなかったことを証言していたのであり、これ以上喋られると困る勢力に、口を封じられたのだ。 敷地にゴミはなかったとする籠池の暴露と繋がる。 2017年05月17日 12:51:28
夫「バカな国民への説明は讀賣新聞で十分だな」
妻「そうね 私はフェイスブックで十分よね」

 

14 2018年 赤木俊夫 近畿財務局上席国有財産管理官 
森友学園問題に関連した池田靖近財統括官の直属の部下。神戸市内の自宅で首をつって死亡していた。
自殺したのは赤木俊夫・上席国有財産管理官。赤木氏は、払い下げの価格交渉で汚れ役を一身に背負わされていた池田靖統括官の直属の部下だった。氏の自宅となっている神戸市内の国家公務員宿舎には「改ざん前の原本」と「遺書」があったとされる。赤木氏は問題の文書改ざんに直接関わっていた。

米国による「日本支配」からの独立

 
 毎日新聞
 鳩山元首相
中村琢磨撮影

  鳩山由紀夫元首相は25日、東京都内で会合を開き、新党結成を目指す考えを表明した。名称を「共和党」とし、米国による「日本支配」からの独立東アジア共和体の実現などを掲げ、賛同者を募る。
  会合は新党の第1回準備会で、鳩山氏は「共和党ができるかは皆さん次第、準備運動をしなければならない。その一歩を踏み出した」と述べた。現時点で国会議員はおらず、準備会を重ねて賛同者を集めたい考えだ。2030年までに30人の国会議員を誕生させるとしている。【東久保逸夫】
 毎日新聞

戦犯731部隊 所属:アメリカ陸軍
生物兵器開発人体実験班
実験場所:日本列島
実験材料:猿(日本人)
報酬(営業利益):健康保険

   

 731部隊は大日本帝国陸軍に存在した研究機関の1つ。正式名称は関東軍防疫給水部で、731部隊の名は、その隠匿名称:通称号である満州第731部の略。
 部隊長

初代  石井四郎   京都帝国大学医学部卒業
 陸軍軍医学校教官 陸軍軍医中将
 
第2  北野政次   東京帝国大学医学部卒業
 生体解剖人体実験を推進する。
 戦後は
文部省に奉職しながら日本ブラッド・バンク(後のミドリ十字)に関わる(日本ブラッド・バンクの東京プラントの初代所長)。
 凍結乾燥装置を用いた乾燥血漿製造の研究成果を応用し、血液製剤の製造、販売を行ったなかにあり、とくに同社設立期においては、朝鮮戦争における米軍向けの輸血用血液製造を行った。 日本学術会議
第1期南極特別委員会委員であり、文部省百日咳研究会に参加した。
 京都府立医科大学学長ー動物実験せず臨床試験(幹細胞移植)ー人体実験批判免れぬー2004年2月(2013年4月11日付「毎日新聞」)
 
再任  石井四郎   

 軍医学校は軍医を育てるところではなく、医師軍医教育するところ(「軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会」新代表:河村一之)。

 731部隊の軍医たちは、日本国内ではできないこと
「細菌戦に使用する生物兵器研究開発実戦的使用」を目的に、満州で「中国人、ロシア人、朝鮮人、同胞の日本人まで」を材料にして、人体実験をやった。なかには女性や子供・赤ん坊もいた。

トルーマンの潜在意識にあった

 池田苗夫も「流行性出血熱の本態に関する研究」の報告の中で、「健康人丸山某の下腹部に毒化虱を付着させて、発症させた」と書いている。

サル扱いで生体実験 関東軍細菌部隊


戦犯追究だけがかった

 人体実験で三千人以上を生きたまま殺した731部隊の軍医たちは、アメリカと密約を交わし、戦後厚生省医学界(元帝国大学医学部)・医療界(製薬企業)頂点に収まり、731部隊関係者で作った3社血液利権(血液製剤の製造・販売)を独占し、薬害をひき起した。

 【薬害】とは医薬品等の使用において、多数の利用者に副作用などの被害が発生し社会問題となったものです。

化学及び血清療法研究所   化血研
日本製薬株式会社  ニチヤク
 株式会社ミドリ十字   現・田辺三菱製薬
化血研  1945年(昭和20年)12月設立  
ニチヤク  1949年(昭和24年)東京都血漿研究所を経て、内藤良一の乾燥血漿製造業務を受け継ぐ。乾燥血漿担当:元731部隊員で永年日本ブラッド・バング技師の国行昌頼。 
ミドリ十字  ・日本ブラッド・バング1950年(昭和25年=朝鮮戦争勃発)11月20日設立
・ライシャワー駐日大使刺傷事件(大使が手術で使用した売血の輸血で血清肝炎に感染)後、1964年(昭和39年)8月、ミドリ十字に商号変更
現・田辺三菱製薬2007年(平成19年)10月
 

 民間企業が保存血(売血)以外の「血液製剤」を作るようになったのは、1964年、ライシャワー駐日米大使が刺される事件が発生して、大使が「輸血(売血)」「血清肝炎」に感染する事故が起こったことによる。
 
2019年現在も国内で血液製剤を製造するのは「この血液企業3社」(化血研・ニチヤク・田辺三菱製薬)のみである。

●薬害肝炎 
 止血剤として使われた血液製剤の、フィブリノゲン製剤第9因子製剤肝炎ウイルスが混入しており、これを患者に投与したことにより「肝炎患者」を生み出した事件。この事件で約1万人が「肝炎」に感染したと考えられている。
 人間の血液を採取して、血液凝固因子を精製して作られる
フィブリノゲン製剤非加熱第8因子製剤非加熱第9因子製剤などの血液凝固因子製剤の投与によってC型肝炎ウィルスに感染した被害のことを指します。
 
フィブリノゲン製剤の歴史は古く、国内では1964年から「妊婦出産時」や「手術時」止血剤として使用されてきました。
 1987年には
青森県同製剤非加熱製剤において集団感染が起こり、自主回収するという事件が起き、同年4月には加熱製剤が承認されることとなったのです。
 しかし、加熱製剤を使用するようになっても肝炎の感染が多数発生したため、翌年の1988年6月に緊急安全情報が出され、それ以降は使用例が激減していきました。 
●薬害エイズ事件 
 1970年代後半から1980年代にかけて、血友病患者エイズウイルスが混入した非加熱製剤を投与したことによりエイズ患者を生み出した事件。この事件で約1800人が非加熱製剤によってエイズウイルスに感染したといわれている。 

薬害肝炎と製薬会社3社が訴えられる
 ・
田辺三菱製薬
 ・ベネシス(田辺三菱製薬の子会社)
 ・
ニチヤク

薬害エイズ(産学官複合犯罪)

 
【民事】
 被告5社(
ミドリ十字化血研・バクスタージャパン・日本臓器製薬・バイエル薬品)とが第二和解案(発症者に月15万円を支給)を受け入れ、和解が成立した。

 
【刑事】
 
産学官ルートで刑事責任(業務過失致死容疑で逮捕・起訴)が追及された。

  ミドリ十字の代表取締役だった松下廉蔵・須山忠和・川野武彦 
帝京大学医学部付属病院の医師だった安部英
厚生省官僚だった松村明仁 

松下廉蔵   薬務局長を最後に「1974年ミドリ十字など血液製剤メーカーでつくる社団法人日本血液製剤協会理事」、「1975年からは日本製薬工業協会理事」を務めた。
 1978年3月、当時社長だった内藤良一に引き抜かれ、副社長としてミドリ十字に入社、社長、顧問を歴任し、ミドリ十字寄付で、内藤良一が発起人となって設立した内藤医学研究振興財団顧問も務めた。
 その後、薬務局長時代の企画課長補佐や経済課長補佐が相次いでミドリ十字に入社し、業界関係者の間では厚生省一体化したミドリ十字上層部「薬務局分室」と揶揄する者までいた。
 妻の兄が細川内閣の法務大臣・三ケ月章。
 
安部英   海軍軍医大尉として従軍。
 厚生省エイズ研究班初代班長
 
 
内藤医学研究振興財団理事
 
化血研   1945年(昭和20年)12月設立 熊本市
 業務:血液製剤やワクチンの製造
 
・未承認成分を添加(製造記録も偽造)ー20年以上前から国に承認された内容と異なる方法で血液製剤をつくっていたことが明らかになった。化血研は発覚を免れるため、製造記録の偽造もしていた(2015年11月5日付「朝日新聞」夕刊)。動物ワクチンでも違反。
 
・無届けでボツリヌス毒素運搬生物テロなどに使われる可能性があるため運搬の際に公安委員会へ届け出が義務づけられている「ボツリヌス毒素」を、届け出をせず運搬していた。2007年10月〜12月に3回、今年10月に1回、県内にある3カ所の事業所間で運搬(2015年12月19日付き「毎日新聞」)。 
内藤良一   京都帝国大学医学部卒業
 陸軍軍医学校防疫研究室主任教官
 
陸軍軍医中佐・
 石井四郎の右腕
 
細菌戦ネットワークで暗躍
 

 戦後、石井四郎は地下に潜り、代わって、内藤良一が中心になって、米国との密約を果たすために、1950年(昭和25年)11月20日、オール731部隊体制で、「生物兵器開発人体実験の実践の場」として、血液銀行「日本ブラック・バンク」を設立するが、1960年8月の「第8回国際輸血学会」で、スイス・オランダの学者から「日本の売血による保存血多量使用肝炎多発要因になる」と強く批判される。
 その後1964年3月の
ライシャワー駐日米大使刺傷事件で、大使が売血制度の輸血による血清肝炎を引き起こし、政府(第3次池田勇人戦犯内閣)は素速く事件から3ヶ月後に輸血の売血制度廃止を閣議決議し、日本ブラッド・バンクは商号を「ミドリ十字」に変更するが、人体実験の体質は変わらず、ウイルスを含む可能性が大である「非加熱製剤(プール血漿)」を輸入・製造・販売し続けて、戦後最大の薬害「薬害エイズ事件」を引き起こす。

 したがって「日本ブラッド・バンクの成り立ち」を調べないことには、
薬害エイズ事件を解明することができないと考え、詳細を以下に順次記載します。

 
薬害エイズ事件「戦犯(元731部隊)任務」(ウイルスを開発・研究・増殖すること)が被害を大きくした。初期の被害が小さい段階で輸入・製造・販売を中止することができなかった。戦犯一味厚生省も販売中止指示が米国に10年遅れた。疑惑の目が米国に向かないようにするために、泥をかぶるのも「戦犯の任務」である。

 米国の戦犯(元731部隊)を使って、猿(日本人)を材料にして、日本列島を生物兵器開発の人体実験の基地にする計画は、先ず
ライシャワー駐日米大使刺傷事件でつまずいた。

 事件当時、日米両政府は騒ぎが大きくなって、日本ブラッド・バンクの存在が社会の表面に浮上し、それによって日本国民に
「米国731部隊密約」が知れ渡ることを懸念して、大使の血清肝炎の原因を「日本国の売血制度」にすり替えた。

 池田勇人首相(アヘン密売実業部隊の戦犯)はアメリカのジョンソン大統領に遺憾の意を表明し、早川崇国家公安員長は引責辞任し、天皇、皇后、皇太子夫妻が見舞い品を贈った。大使はこの血清肝炎について後々まで多くを語らなかった。

日本ブラッド・バンク

 1950年大阪市茨木で開業(小児科)していた内藤良一の所に二木秀雄と宮本光一が訪問する。

二木秀雄  731部隊企画課・結核研究班に所属
宮本光一 石井四郎が開発した素焼きの石井式濾水器を製造した日本特殊工業の社長。石井と癒着して利益をあげ、石井の裏金作りに協力した。

 内藤は3人の会談をきっかけに企画草案をまとめた。
 ●
「株式会社日本血液銀行の企画草案」1950年7月
 
政治に対する働きかけ”

1  国内各種機関に血液銀行組織をもつよう奨励する 
2  全国の保険所が災害救急用に乾燥血漿を常備できるよう予算措置させる 
3  失業者や貧困者からの血液供給を抑制する法令が成立するのを防ぐ 
4  製品のダンピングを防ぐ 
5  特殊な事業なので法人税を免除させる 
6   GHQ方面の理解、指導および援助を得る

 草案の中の経緯で内藤は「・・・このときの上官は有名な石井四郎という人で、この研究を認めて、金はいくらでも要るだけ使わせて貰った・・・」と書いている。
 石井の名前を堂々と出していることを始め、この企画草案を見ると731部隊関係者が戦犯になることを恐れてコソコソ逃げ回っている雰囲気はまるでない。
 免責になった証拠で、堂々と表舞台でしかも権力とつながっていたことがわかる。
 内藤は企画草案で
GHQと折衝する。

 GHQの担当官のボ−ズマン博士は厚生省に働きかけ、宮本光一の依頼で、神戸銀行小林副頭取が、日本銀行や大蔵省の了解を取付けた。

 そして1950年9月18日、日本ブラッド・バンク設立のための発起人総会が大阪で開かれた(メンバ−は11人)。

岡野清豪 国務大臣・元三和銀行頭取
橋本章吾 大五栄養化学取締役
二本杉欣一  大阪府医師会理事 
渡辺忠雄 三和銀行頭取
内藤良一  医師
岡崎忠  神戸銀行頭取 
前田松苗  日本赤十字社評議員 
二木秀雄  医師・政界ジ−プ社社長 
小林芳夫  神戸銀行副頭取 
国分政次郎  三和銀行常務取締役 
宮本光一  日本特殊工業社長 
 
 資本金は3000万円だった。
 個人株主の中には731部隊関係者の名前がある。
石川太刀雄丸  731部隊第1部石川班で病理研究班
論文「炎症(殊にペスト)に関する研究」では満州国農安地区ペスト流行に際して、ペスト屍57体解剖を行った。之は体数に於いて世界記録であると自慢している。
戦後は金沢大学医学部長 病理学教授
金沢大学にあった病理データはハルピンから持ち帰られたもので、おおよそ500人の標本からなっていた。
1968年 金大がん研究所長 
太田澄  731部隊第2部長細菌戦を指揮
栄1644部隊長3代目隊長
戦後は山口県で開業(自殺)
 
野口圭一  731部隊第4部3課でペスト・脾脱疽等の細菌製造
戦後は日本ブラッド・バンク名古屋プラント所長
 

 株式の払い込みが終わって1950年11月20日、日本ブラッド・バンクが設立された。

取締役会長  岡野清豪(国務大臣) 
代表取締役専務 内藤良一 
取締役 宮本光一 
取締役 二木秀雄 
常務取締役 小山栄二(元陸軍省糧秣本部で黒穂病の研究をした) 

そして6年後、元731部隊2代目隊長だった北野政次東京プラント初代所長になった。
731部隊が大挙して「日本ブラッド・バンク」に移動したのである。
まさに日本ブラッド・バンクは
GHQ、政界(国務大臣)、財界(銀行)、日本赤十字社、オール731部隊が一体となって作った、米国の生物兵器開発の国策会社そのものだった。

 輸血(売血)による肝炎感染が問題になった、ライシャワー駐日米大使襲撃事件を機に、日本ブラッド・バンクは商号をミドリ十字に変更して、さらにエイズ事件を起こしていくことになるが、倒産するどころか、合併を繰り返し、日本で最大規模を誇る大企業へ変貌していく。
 理由は他の米軍基地と同じで、戦犯(元731部隊)が大挙して移動した、「アメリカ軍生物兵器開発人体実験班」である「日本ブラッド・バンク」は、治外法権の無法地帯だったからである。

■『731部隊とミドリ十字(現・田辺三菱製薬)、薬害エイズと肝炎
 発行:全国保険医団体連合会内「戦争と医の倫理の検証を進める会」 P98〜P99

 薬害エイズ事件(1989・平成1年ー1996年・平成8年)・薬害肝炎事件(1998年・平成10年ー2008年・平成20年)は最近の代表的な薬害です。とは言え戦後40年・50年以上経っている。この間戦犯(元731部隊員)はウイルスの研究を継続していたのか。
 ミドリ十字は(現田辺三菱)はいずれの裁判でも責任を問われましたが、同社を設立し会長を務めた
内藤良一は、731部隊の中枢にいた経歴の持ち主で、1943年(昭和18年)、細菌兵器開発のために「アメリカで学んだ乾燥血漿を作る為の凍結真空乾燥という技術」を生かして、救世軍の校舎を借りて「乾燥血漿の製造」を始めました。

乾燥血漿かんそうけっしょうdried plasma
 健康人の血漿を採血後 72時間以内に凍結し,そのまま減圧乾燥した保存血漿輸血の代用として,ことにやけどや低蛋白血症に利用されたが,多人数の血漿を集めるので(プール血漿)血清肝炎発生の危険があった。
凍結真空乾燥という技術  
 細菌を粉末状態にする特別な技術であり、細菌を長持ちさせることが可能で、これを爆弾に詰めて落とすことで、「細菌戦」を可能にする。朝鮮戦争時に、内藤はこの技術をアメリカ軍へ売り込んで莫大な利益を得た。
 石井四郎が考案した
「素焼き製爆弾」(貧乏人の爆弾)は空中で木っ端微塵に壊れるから、広範囲に細菌を撒き散らすことができた。
  

 内藤は厚生省日本赤十字GHQに働きかけ、朝鮮戦争勃発3ヶ月後の1950年(昭和25年)9月に、元731部隊員とともに血液銀行「株式会社日本ブラッド・バンク」を設立しました

 当然、この時点で内藤には「乾燥血漿を材料にしてつくる血液製剤には、血清肝炎危険があること」を知っていた。厚生省も日本赤十字もGHQもその知識があった。

 この会社は輸血用の血液などの製造、販売を行い、1954年(昭和29年)に
血液製剤『薬』と同じように健康保険対象にすることに成功し、黄色い血として国際的にも問題になった売血(保存血)を大量に使用し続け、多くの肝炎患者を発生させました。

 1960年(昭和35年)8月、「第8回国際輸血学会」で、「日本の
売血による保存血多量使用肝炎多発要因になる」と、スイス・オランダの学者から指摘され、血液銀行の在り方が批判される。

 1964年(昭和39年)3月、ライシャワー駐日米国大使が刺される事件が発生。その時の輸血で肝炎に感染する事故が起きる。そして
保存血液以外「血液製剤」が、民間企業(日本ブラッドバンク・ニチヤク・化血研)によって作られることになる。

 1964年に
日赤による『献血』の推進が決定されると、8月、■日本ブラッドバンクは直ちに社名をミドリ十字に変更して、■フィブリノゲン(血液凝固因子の一種)製造販売を開始しました。

血液凝固因子製剤 
 数千人から2万人以上もの供血者による血漿(けっしょう)をプールしたもの(プール血漿)から作られていたため、供血者の中に1人でも肝炎ウィルス感染者がいるとプール血漿全体汚染されてしまう危険性がありました。そのため「1人ないし2人供血者血液から作られる血液製剤(クリオプレシピテート)「輸血」に比べて、本格的肝炎ウィルス汚染される危険性の高いものでした。 

 1968年(昭和43年)には米国内においてプール血漿の使用禁止が勧告されましたが、その後もミドリ十字【エイズウイルス汚染されたプール血漿輸入】を行い、血友病に対して使用する非加熱凝固因子製剤製造販売を行いました。

 米国は1977年(昭和52年)に
肝炎感染危険性からフィブリノゲン承認を取り消したが、旧厚生省の販売中止指示は10年後の1987年(昭和62年)迄ずれ込んだ。

 1982年(昭和57年)に米国で
血友病患者エイズ発症した後も、ミドリ十字フィブリノゲン
非加熱凝固因子製剤日本で製造販売け、薬害エイズ事件をひきおこしました。

「戦争は殺し合いで、米国にとって、生物兵器開発のために、植民地の日本列島で、エイズウイルスに犯された家畜の猿(日本人)が苦しもうが、死のうが、どうでも良いことだった(終戦時のトルーマンアメリカ大統領の言葉)。関心は研究成果のエイズウイルスの殺傷力だけである。」

 1986年9月〜1987年4月にかけて、青森県三沢市で、
非加熱フィブリノゲン製剤を投与された産婦8名が肝炎に感染、薬害肝炎が社会問題になる。

1  1964年  血清肝炎 
売血(保存血)を使った輸血
C型ウイルス肝炎
 
1980年代  薬害エイズ事件
血友病治療薬
血液製剤 
フイブリノゲン製剤
非加熱凝固因子製剤
C型ウイルス肝炎
3  1986年9月〜1987年4月 薬害肝炎
血液製剤
非加熱フィブリノゲン製剤
C型ウイルス肝炎

 731部隊の人体実験体質」を残したまま、薬害エイズ事件で業績悪化のミドリ十字の社名の消滅が図られて、1998年(平成10年)吉富製薬に救済合併された。
 厚生省
が間に入り(合併を後押し)、吉富の筆頭株主の武田薬品工業に救援を依頼した。
 731部隊大連衛生研究所に所属していた2名が武田薬品工業顧問と武田薬品工業研究部長になっている。
 2000年(平成12年)商号を
ウエルファイド株式会社に変更。 

 2001年には三菱東京製薬と合併し、三菱ウエルファーマとなるが、2007年(平成19年)10月に田辺製薬と合併したことで現在の田辺三菱製薬となる。

日本
ブラッド・バンク
1950年11月20日設立
1964年3月ライシャワー駐日大使襲撃事件(
売血を使った輸血血清肝炎 
 ミドリ十字 1964年8月(株)ミドリ十字に社名を変更する。
・1980年代 
薬害エイズ事件
・1985年10月 俳優の
ロック・ハリソンAIDSで死亡
・1986年9月〜1987年4月にかけて、青森県三沢市で非加熱製剤フィリノゲン製剤を投与された産婦8名が肝炎に感染、
薬害肝炎が社会問題になる。
・1998年
吉富製薬とミドリ十字が合併する。
 
ウエルファイド  2000年(平成12年)ウエルファイド株式会社に商号を変更する。 
田辺三菱製薬  2007年(平成19年)10月
田辺製薬と三菱ウエルファーマが合併したことで現在の
田辺三菱製薬株式会社となる。
 

 ミドリ十字の血液製剤について国家検定を行い、その安全性保証けた国立予防衛生研究所「現・国立感染症研究所(厚生労働省管轄)では、戦後多くの元731部隊関係者が所長はじめ要職を得ている。

 ミドリ十字は田辺三菱製薬に引き継がれているが、同社では
薬事法違反による業務停止処分(2010年4月)や注射薬安全性試験未実施(2011年)などが続いている。

 薬事法を順守したり、注射薬の安全性試験を実施していたのでは、兵器(細菌・ウイルス)をつくることはできない。
 「日本ブラッド・バンク」→「ミドリ十字」の歴史を引き継ぐ「田辺三菱製薬」の実態は、アメリカ陸軍生物兵器開発人体実験班である。安倍政権(アメリカ帝国植民地傀儡政府)と同じである。

 
 30年前の1989年7月22日、旧陸軍軍医学校跡地(東京都新宿戸山1丁目)から、人骨100体が見つかった。市民団体が真相解明を求めている。新宿区の佐倉鑑定で、銃創痕や実験的な手術の痕が明らかにされ、戦争中の医学犯罪物的証拠である可能性は極めて高い。発見現場に隣接する国立感染症研究所の直ぐ側に納骨施設があり、人骨を安置している。
 実験材料は満州の731部隊から空輸されてきた死体の一部(首・胴体)の標本(かめ・ドラム缶に入ったものをホルマリンに入れ替えた)だった。

 
感染症とは、細菌やウイルスなど(病原体)が体に入り増殖することによって起きる病気です。
 細菌  ウイルス
・細胞を持つ
・栄養を摂取し、そこからエネルギーを生産している
・細胞分裂を繰り返すことによって生存・増殖もおこなっている
→生物である 
・細胞がない
・栄養を摂取したり、エネルギーを生産したりしない
・自力で働くことはできない
・ウイルス単体は自力で増殖できない
→生物であると言い切れない
・百日咳 ・梅毒 ・結核 ・コレラ ・ジフテリア ・マイコプラズマ肺炎 ・赤痢・溶連菌感染症 ・0157などの腸管出血性大腸菌感染症など  ・風邪 ・インフルエンザ ・水疱瘡 ・おたふくかぜ ・はしか ・風疹 ・ウイルス性肝炎(A型・B型・C型 
 *ウイルスは自力で繁殖することができません。しかしウイルスは動植物の細胞の中に入り込むことはできます。動植物の細胞に入り込んだウイルスは、その細胞の機能を使って自身のコピーを増やしていきます。

■帝銀事件・薬害エイズ事件
 犯人:旧731部隊員
 犯行手口:
人体実験
 材料:猿(日本人)
 報酬(利益):健康保険を適用

(1)細菌部隊と帝銀事件

ウィルス
 ・・・人々を恐怖に陥れる悪魔の生命体
 細菌兵器として開発される可能性を否定できない。
  今世紀、人類史上最悪のウィルスが登場した。
 それは
エイズウィルス・・・

 全世界で4200万人が感染。年間300万人が死亡。日本で初めて感染が確認されたのは1985年(昭和60年)。現在およそ8000人もの人が感染している。
 一体なぜ、こんな恐ろしいウィルスが突然猛威を振るったのか?
 その謎から伸びる1本の線。・・・昭和に起きた大事件に繋がっていた。それが、
戦後最悪毒殺事件帝銀事件である。
 1948年(昭和23年)1月26日、豊島区にある帝銀銀行椎名町支店で、行員12人が毒殺され、現金と小切手が奪われる強盗殺人事件が発生した。世に言う
帝銀事件である。
 使われた
毒薬「青酸ニトリール」と言われている。
 飲むと
数分後に症状が出始めゆっくりしかし確実に至らしめるという極めて【特殊な薬物だった。
 戦後のまだ何もない時代に特殊な薬物を使える人物とは一体誰なのか?
 捜査した刑事のメモが残っている。警察が容疑者として強い疑いを抱いた集団の名が記載されている。それは
「731部隊」

 731部隊に詳しい神奈川大学常石敬一教授(コメント)
「できるだけ少ない量の細菌で、できるだけ広い地域を、できるだけ多くの人たちを傷つけるにはどうしたらいいかと。
効き目を図るには人体実験ができると非常スピード早くなるわけです。そういうためにやった」
(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会の初代会長ー「ボクの関心は『
科学者とは医者とはいかに非人間的なことができるのだろうか』ということを明らかにしたいと思ったわけです。」)

 事件当時、かつて731部隊の隊長だった石井四郎はこう発言している。「(犯人は)俺の部下にいるような気がする」
 捜査当局は、731部隊の旧隊員達をしらみつぶしに捜査、追い詰めて行き、ほぼ「犯人に間違いない男」を突きとめた。しかし・・・
 命令
「即刻731部隊に関する捜査を中止せよ」を出したのは占領軍最高司令部GHQ
 その後しばらくして、突然731部隊とは全く関係のない画家の平沢貞通が逮捕される。彼は40年間冤罪を主張し続け、1987年獄中で死んだ。捜査当局も裁判所も法務大臣も皆「平沢は真犯人ではないこと」を知っていた。だから死刑を執行することができなかった。

 なぜアメリカは731部隊の捜査を中止させたのか。
 謎を解く鍵。長年731部隊を調べ続けてきたジャーナリストのジョン・W・パウエル氏が
「終戦直後、旧日本軍の戦争犯罪の調査にあたったGHQの報告書」を見せてくれた。そこには恐るべき記述があった。「731部隊関係者を戦争犯罪裁判にかけ、公にすることは、貴重データ流出につながる。」

 
ジョン・W・パウエル氏(コメント)
731部隊のデータ最大価値は動物ではなく人間実験材料にしたことです。それは生物兵器開発を始めたばかりのアメリカにとって是が非でも欲しいものでした」

 当時アメリカが最も
「恐れ」たのは敵対していた「ソ連にデータが渡ること」。そのためアメリカはある決断をしたという。それは、

 ジョン・W・パウエル氏(コメント)
密約したんですよ。アメリカは人体実験データと引き替えに、731部隊戦争犯罪は問わない(=戦争犯罪と犯人の隠蔽)という約束をね」

 事実、731部隊の幹部は全員戦犯として裁かれていない。731部隊が犯人と目され逮捕されたら、存在するはずのない「闇の部隊」に光が当たり、そのデータも公になる。ソ連に知られる恐れがある。アメリカはそれを阻止するために、731部隊への捜査を中止させたのではないか?計画通りデータ独占に成功するために。

 【結論】
 帝銀事件は元731部隊員による
「行員材料」にした「青酸ニトリール人体実験」だった。

(2)帝銀事件と薬害エイズ

 帝銀事件から2年後(1950年・昭和25年)アメリカは朝鮮戦争に突入。この時早くも731部隊知識を活用して、生物兵器使用した疑いが持たれている。続くベトナム戦争(1960年)でも「生物兵器使った」と言われている。過去ベトナムでは発生したことのないペストが流行した。

 首都ワシントンから車で1時間。731部隊のデータが持ち込まれたという疑惑の基地がある。アメリカ陸軍フォートディートリック基地パウエル氏によれば731部隊から入手したデータは、この「生物化学兵器研究所」に持ち込まれ、その結果、アメリカの生物化学兵器開発は急速に発展したという。
 そして1972年(昭和47年)、時の
アメリカ大統領ニクソンはある国家プロジェクトを発表する。ガン撲滅プロジェクトである。この時ニクソンが「プロジェクトの本部」を置いたのが、あの「生物化学兵器研究所」だったのである。実はこのプロジェクトの本当の目的は「ガン撲滅ではなくルス実験だったと言う男がいる。医学博士アラン・キャントウェル氏である。

 アラン・キャントウェル氏(コメント)
 「ウルスを『ある種の生物』から『別の種の生物』に入れ替えると、とても
危険ルスに生まれ変わることがあります。当時、生物化学兵器研究所ではガン研究に隠れ、そうした実験が連日繰り返されていました。その過程で生み出されたのが、あの恐ろしいエイズルスなのです」

   なんとエイズルス生物化学兵器研究所で生み出されたというのだ。それが意図して作られたか、偶然の産物か定かではないが、注目すべき発言がある

 1969年(昭和44年)、軍の生物兵器担当者のアメリカ議会公聴会での発言。

  「我々はヒト免疫システム破壊する新しいウィルスを作る計画を持っています」
 それはまさにエイズルスそのものではないか。

 さらに驚くべき主張をする男がサンフランシスコにいた。ジャーナリストのデェブ・エモリー氏。

 デェブ・エモリー氏(コメント)
 「エイズウルスアメリカ
生物兵器開発計画の中で人工的に作られたものです。おそらく731部隊データも利用したと考えられます」

 時は過ぎ、1985年(昭和60年)、日本で起きたのが薬害エイズ事件である。


 ミドリ十字の前身として創立された血液銀行「日本ブラッド・バンク」。創立者の男「内藤良一」には驚くべき過去(731部隊に深く関与。細菌戦ネットワークの要で暗躍があった。戦犯から免れた内藤は、朝鮮戦争で傷ついた米兵の輸血のために会社を作り成功を収める。創立から14年、第8回国際輸血学会で血液銀行在り方」批判され、ライシャワー駐日大使襲撃事件で、大使が売血による輸血でウイルスに感染して血清肝炎になったことが明るみになると、1964年(昭和39年)社名をミドリ十字に変更して、ほおかぶりを決め込んだ。


 そして1980年代、ミドリ十字非加熱製剤(プール血漿)を輸入し販売し続けた。
 1985年アメリカでは非加熱製剤の危険性を危惧し製造を禁止した後もである。それが
戦後最悪薬害事件を起こす原因となった。


【結論】
 エイズ事件はアメリカと戦犯(731部隊員)の密約がなければ、起こらなかった。
薬害の根は密約にある。

『血に群がるドラキュラ達の因果』
岡田義明 2008年1月24日出稿

アメリカの尻ぬぐいを「日本国民の血税」でやる
安倍1次内閣 2006−2007
福田康夫内閣 2007−2008
麻生太郎内閣 2008−2009

■薬害肝炎救済法の成立

 2008年(平成20年)1月11日、C型肝炎感染被害者の一律救済を目指した「
特定フィブリノゲン製剤及び特定血液凝固第9因子製剤によるC型肝炎感染被害者を救済するための給付金の支給に関する特別措置法案」が衆参両議院で可決、成立した。

 救済法は、慢性C型肝炎の進行による肝硬変・肝がん・死亡に対しては4000万円、慢性C型肝炎に対して2000万円、無症候性キャリアに対して1200万円の給付金を支払うことが柱となっている。

 最終的な対象者は原告を含む1000人程度、給付総額は170億〜200億円と見られている。

 基金の規模は200億円程度で、
一旦全額負担した上で、企業も応分の負担をする。負担割合は今後の協議で決めるが、桝添要一厚生労働相は国自身の負担は3分の1を軸に協議に臨む考え。

 患者らの約5年に及んだ裁判闘争はようやく終わりを告げたかに見えたが、原告団に加わることができなかった血友病患者らを含め、全国には約350万人のB型・C型肝炎の患者・感染者がいるとされ、大半は救済法の対象とはなっていない。

 しかも、最も
責任が重いはずの製薬会社側謝罪給付金負担への対応を明確にしておらず、原告側は「全面解決要求書」を製薬会社3社に送付し、製薬会社との訴訟を継続する意向を示している。

 製薬企業3社とは田辺三菱製薬(大阪)とその子会社ベネシス(同)、それに日本製薬(東京)を指す。

日本製薬(ニチヤク)は1987年10月大五栄養化学株式会社(日本ブラッド・バンクの発起会社の1つ)と合併し、日本最後血液銀行となる(売血終焉)。現在はタケダグループの100%子会社。 

 薬害を起こした製薬会社3社は巨額の販売利益を得ている。販売代金の中から米国には薬害の病原体プール血漿)の輸入代金(上納金)は支払い済みである。それでいて謝罪や給付金の負担はしない。謝罪は福田康夫首相がして、給付金は国民の血税を充てた。

第90代   安倍 晋三  2006ー2007  第1次 
第91代  福田 康夫   2007−2008   
第92代 麻生 太郎 2008−2009  
第93代 鳩山 由紀夫   2009−2010   
第94代  菅 直人   2010−2011    
第95代  野田 佳彦  2011−2012   
第96代 安倍 晋三  2012−2014  第2次 
第97代 安倍 晋三  2014−2017   第3次 
第98代 安倍 晋三  2017〜  第4次 

731部隊と薬害エイズ関連図(山口研一郎 2001年5月作成)

「ミドリ十字」→資本(約50億円)提供「ヴァイアジーン社(米)」(エイズ治療薬開発)「熊本大学医学部」(エイズ治療薬新薬テスト)高月清(治験統括責任者・内科教授)内藤医学研究振興財団理事 

 731部隊系の戦犯医療業界(製薬企業・元帝国大学)は薬害事件をものともせず、治験に見せかけて、元帝国大学を拠点にして、やってくる患者(日本人)を材料にする、人体実験殺人ビジネス効率化(手っ取り早くカネにする)を図る。
 日本人の死亡原因男女とも1位の
がんに狙いを付けて、
がん創薬」「がん手術」国策事業(補助金事業)にして、産学官連携のシームレス・オールジャパン体制づくりを陰謀する。産学官の首脳陣はオール731部隊系の戦犯で占められている。人体実験を規制する法律・制度を撤廃して、731部隊系の戦犯で医療行政を支配する。
 そのための戦略が「アヘン密売実業部隊系の戦犯岸信介の孫の安倍晋三を、総理大臣にして利用すること」だった。

1  PMDA 独行政法人医薬品医療機器総合機構
 2004年(平成16年)4月1日 所管:厚生労働省

 医療品・医療機器の治験審査業務、承認審査業務、及び医薬品の安全対策と健康被害救済業務を行う。治験審査労働大臣に代わって行うことから、独立行政法人であるが、厚労省の一部のような立場。治験届けは、厚生労働大臣宛で、ここに提出する。
 「医薬品等の承認審査の迅速化・効率化を図るため、機構の審査人員を概ね3年間で倍増すべき。」→機構は、これを踏まえ、2007年(平成19年度)から3年間で審査人員の大幅な増員(236名)を行った。
  
2   がんトランスレーショナル・リサーチ(TR)事業
 2006年(平成18年)3月28日閣議決定
 文部科学省の補助金事業
 先端医科学の臨床への応用の推進に関する懇談会

 重点推進4分野のひとつ「ライフサイエンス」(生物体と生命現象を取り扱い、生物学生化学・医学・心理学生態学のほか社会科学なども含めて総合的に研究する学問生命科学。)において、橋渡し研究の重要性を謳う。
 
TRの定義:大学等において、アカデミア(研究者・医師)が主導し、基礎研究の成果について、シーズの発掘から人への応用を目指した前臨床研究、人を対象に行う臨床研究(非臨床研究を含む)の一部など、最終的には実際の医療に用いることを目指し、製薬企業等が研究開発に参画するなど、実用化の見通しが立つまでの橋渡し研究
 
シーズ:企業が有する事業化、製品化の可能性のある技術やノウハウなどをさしている。シーズの状態はまさしく“種”の状態であり、そのままでは顧客に提供することができない。シーズを具体的に提供できる形にしたものが製品やサービスであり、シーズに適合するような製品やサービスに返還していくことが重要とされる。
大学病院臨床試験アライアンス(=業務提携)
 2006年(平成18年)2月設立、10月運用開始

 関東甲信越8大学9病院(地域連携による人材育成とリソース共有) 新潟大学 群馬大学 筑波大学 千葉大学 東京大学 東京医科歯科大学 信州大学 山梨大学
・治験の高い実績を有する「大学病院臨床試験支援部門の有志」で設立
・その目標は日本の治験環境を改善し、
国際共同試験に参加し、安全かつ効率的に治験を実施することである。
「我々は、国際共同試験の推進を目的として、国内随一の橋渡し、中核、拠点、地域の中核医療機関の連携モデルとして製薬企業団体、文科省とも連携し活発に活動している。本年度推進室事務局を設置し専門職員を産業界より招聘した。千葉大学医学部付属病院」
4  がんTR事業(橋渡し研究支援推進第1期プログラム)
 2007年(平成19年度) 5か年計画
 文部科学省の補助金事業

 文部科学省は平成19年から「橋渡し研究支援推進プログラム」を開始し、医療としての実用化が見込まれる有望な基礎研究の成果を開発している大学等のアカデミアを対象に、開発戦略策定、薬事法を前提とした「試験物の製造」といった橋渡し研究の支援を行う機関を拠点整備してきた。
目的:橋渡し研究支援機関の拠点整備
 (1)橋渡し研究機関の機能強化
 (2)橋渡し研究支援を行うための人材確保・登用・育成
 (3)橋渡し研究支援
 (4)橋渡し研究支援機関の活動・連携の促進
を4つの柱として、7拠点「・オール北海道(北海道大学・札幌医科大学・旭川医科大学)、・東北大学・東京大学 ・京都大学 ・大阪大学・九州大学 ・財団法人先端医療振興財団(国として支援基盤の構築に資する。臨床研究情報センター長兼統括:福島雅典京都大学名誉教授)」を選択し、併せてこれらの拠点整備を把握し拠点間のネットワーク形成等をサポートする機関を選択した。
 これら7拠点に対しては、プログラムの具体的な成果として、「プログラム期間内に、1期間(拠点)あたり有望な起訴研究の成果が、2件ずつ薬事法に基づく治験の段階に移行すること」を目標として課した(ノルマ)。
 
  治験中核病院・拠点医療機関整備事業
 「新たな
治験活性化5カ年計画」
 文部科学省・厚生労働省の補助金事業
 2007年(平成19年)3月30日 

 治験中核病院・拠点医療機関等協議会 設置要綱
(目的)
第1条 治験中核病院・拠点医療機関等協議会(以下「協議会」という。)は、厚生労働科学研究費補助金「臨床研究基盤整備推進研究事業」、医療施設運営費等補助金「治験拠点病院活性化事業」及び文部科学省「橋渡し研究支援推進プログラム」に参加する各機関が相互に連携し、「新たな治験活性化5カ年計画」(平成19年3月30日文部科学省・厚生労働省)に基づき、
効率的かつ迅速治験臨床研究実施できる体制を構築することを目的とする。

(1)治験・臨床研究を実施する医療機関の整備をする
 
●治験や臨床研究を企画・運営できる中核病院を10カ所整備する。 
 ・慶應義塾大学医学部 ・北里大学医学部 ・国立がんセンター
 ・大分大学医学部附属病院 ・国立循環器病センター
 
・国立国際医療センター元陸軍軍医学校 厚生労働省所管の国立開発法人=独立行政法人 第五福竜丸被爆、乗組員16人が入院 グアムから帰国した横井庄一が入院 ルバング島から帰還した小野田寛郎が入院 薬害エイズ裁判の和解条項により、エイズ治療・研究開発センター開設) 
 ・国立成育医療センター ・国立精神・神経センター
 ・独立行政法人国立病院機構本部 ・千葉大学医学部附属病院
 
●治験・臨床研究を円滑に実施できる拠点医療機関を30カ所整備する。
(2)治験・臨床研究を実施する人材を育成し、確保する
(3)国民への普及啓発と治験・臨床研究への参加を
支援する
(4)
治験・臨床研究の効率的な実施と、企業負担を軽減する 
 がん対策基本法議員立法で成立)
 がんビジネスの国家プロジェクト化
 2006年6月20日成立、2007年4月施行
 都道府県がん診療連携拠点病院設置 

都道府県がん診療連携拠点病院 47医療機関 
 地域がん診療連携拠点病院 304医療機関
【目的】
 がん対策を総合的かつ計画的に推進する。
【基本理念】
 「国民・患者の視点」によるがん対策の転換
 1.がんに関する研究の推進と研究成果の普及
 2.がん医療の均てん化の促進
 3.がん患者の意向の尊重
【基本的施策】
 1.がん予防及び早期発見の推進
 2.がん医療の均てん化の促進等
 3.研究の推進等
 ○がんに関する研究の促進
 
○研究成果の活用
 
医薬品医療機器早期承認に資する治験促進
 ○臨床研究に係る環境整備
  第1次安倍内閣 
 2006年9月26日
2007年8月27日
8  田辺三菱製薬発足 
 2007年10月1日 

  医療業界は「シームレス・オール731部隊戦犯体制」で一丸になって、人体実験殺人ビジネスの再興に向かって突き進んできたが、にっちもさっちも行かなくなった安倍首相が政権を投げ出した。
 米国が何が何でも「
憲法改正させて、日本を戦争ができる国にする」ために、安倍首相を政権発足1年足らず(2006年9月26日〜2007年8月27日)で引っ込めて、テコ入れを図る。第1次吉田茂内閣と同じである。

 岸信介が
「里見甫の遺産」(アヘン資金・満州極道人脈・戦争犯罪不問・密約)を引き継ぎ、岸信介が引き継いだ「里見甫の遺産」を、引き継いだのが安倍晋三で、密約の効力は安倍首相で終わりとなる。だから米国は裏工作を駆使して、安倍政権を第4次までもたせている。

 エイズ・肝炎の薬害事件で躓いた731部隊の戦犯の方は、引き続き、人体実験殺人ビジネスの網を全国の医療機関の隅々にまで張り巡らして、第2次安倍政権の日本再興戦略(成長戦略の「三本の矢」の「第三の矢」)につないだ。

 「
JAPAN is BACK」で「日本再興戦略」となるのか?
 標語だとすると、「戦時体制に後戻りする」? 

1  政策セミナー(日本製薬工業協会開催
「わが国の創薬基盤を考えるー治験・臨床研究の活性化に向けて」
2012年(平成22年)3月11日


課題:治験症例数確保
 治験者側の体制を整えたからといって、必要な治験症例数は確保できない。わかりきったことであった。
 戦場でない、平穏な市民生活の場で、人体実験の材料にするマルタ狩りができると目論んだのは、殺人鬼集団「731部隊の後続隊」の大誤算だった。
 
大学病院なら患者が集まってくる。→橋渡し事業の元帝国大学拠点にした理由がここにある。 
2  早期・探索的臨床試験拠点整備事業
 
キャッチフレイズ「世界に先駆けて臨床試験
(人体実験)を実施し、日本初の革新的な医薬品・医療機器を創出する」
 
2011年(平成23年度) 厚生労働省が開始

 日本初の革新的な医薬品・医療機器を創出するため、我が国の起訴研究成果を、世界先駆けてヒトめて投与使用する臨床試験実施体制を国内に整備することを目的に5機関が選定され、アケデミア等における最先端臨床研究実用化が更に促進された「・国立がん研究センター東病院(医薬品/がん分野)・大阪大学医学部付属病院(医薬品/脳・心血管分野)・国立循環器病センター(医療機器/脳・心血管分野)・東京大学医学部付属病院(医薬品/精神・神経分野)・慶應義塾大学病院(医薬品/免疫難病分野)」
 目標:新規薬物・機器について、
世界先駆
けて承認又は日本での開発段階が世界中で最も進んでいる状況を実現すること。
 これからの体制:開発早期の治験、POC試験等(Proof of Conceptの略。新規薬剤がメカニズム通りに効果を発現しているかどうかを
ヒト確認する試験)の臨床研究エビデンス(医学において、その治療法が選択されることの科学的根拠、臨床的な裏付けをいう)創出につながる臨床研究の体制整備にFocus(焦点)をシフト。
 

  臨床研究中核病院・拠点医療機関整備事業
2012年(平成24年)11月2日 厚生労働省医政局

都道府県知事殿
 国際水準の質の高い臨床研究や難病等の医師主導治験を推進し、日本初の革新的な医薬品・医療機器を創出するためには、
大規模ネットワーク中核となり、臨床研究拠点となる機関が必要です。
 厚生労働省ではこのたび、この課題に対するため、臨床研究中核病院整備事業の対象として、平成24年度に選定した5機関に加え、新たに次ぎの5機関を選定した。
 2012年(平成24年度)「・北海道大学病院・千葉大学医学部付属病院・名古屋大学医学部附属病院・京都大学医学部付属病院・九州大学病院」
 2013年(平成25年度)「・東北大学・群馬大学医学部付属病院・国立成育医療研究センター・国立病院機構 名古屋医療センター・岡山大学病院」

  

CRO?contract research organization?
 開発業務受託機関。製薬会社の委託を受け、医療機関に依頼し臨床試験など医薬品の開発業務を実施する団体・企業。現在30数社ある。
 これらの会社すべてが医療用医薬品の日本国内での承認・許可を一日も早く取るためにクライアント企業(製薬会社)からの仕事が殺到しています。 
4  ARO Academic Research Organization 
 アカデミック臨床研究機関 
治験
収益営利事業

 大学(アカデミア)の有する多くの専門性や特徴を活用し、治験を収益事業として行う組織。一部の大学では、民間企業(臨床試験受託機関あるいはSMO)との業務提携を行っている。
 総論:AROと製薬企業連携プロジェクト(研究者が研究を開始したときに、研究全体を進めるために面倒を見る組織である。)
 ということは、大学の治験のスポンサーを製薬企業がやるということ。スポンサーと治験者の関係。
 
医師主導治験とはスピード企業負担軽減」
 
AROと製薬企業による産学連携の治験事業
 
薬事相談・申請の支援
 *2006年(平成18年)2月1日に「がん対策基本法」(厚生労働省)成立し、「都道府県がん診療拠点病院設置」が開始された同年4月に、九州大学病院は「臨床研究センター」を廃止し、「高度先端医療センター」を設置した。
 そして2012年(平成24年)5月には「高度先端医療センター」を「ARO次世代医療センター」に改称した。
5  第2次安倍内閣
 
2012年(平成24年)12月26日〜2014年(平成26年)9月3日 
6  日本経済再生本部
 2012年(平成24年)12月26日閣議決定

 我が国経済の再生に向けて、経済財政諮問会議との連携の下、円高・デフレから脱却し強い経済を取り戻すため、政府一体となって、必要な経済対策を講じるとともに成長戦略を実現することを目的とし、内閣に、これらの企画及び立案並びに総合調整を担う司令塔となる日本経済再生本部を設置する。本部長:内閣総理大臣
  産業競争力会議
 2013年1月23日 第1回目が開催


 日本経済再生本部の下に開かれる会議体。2016年9月9日、未来投資会議の新設に伴い、廃止。 
  アベノミクス「3本の矢」
 2013年(平成25年)1月29日
 安倍内閣総理大臣の所信表明演説
 第2次安倍晋三内閣の経済政策

 3本の矢と呼ばれる行動指針を用いて「日本のデフレ」を脱却しようという政策(経済再生構想)です。
 (1)大胆な金融政策、(2)機動的な財政政策、
(3)民間投資を喚起する成長戦略、の三つをアベノミクスの「3本の矢」に揚げた。
 
成長戦略では、農業、医療、雇用などの規制緩和とこれを地方に広げる地方創生特区の導入や、法人税率のの引下げ、TPPなど自由貿易の推進、女性や外国人の活用などに取り組んだ。
 安倍内閣は、2012年12月26日閣議決定で、司令塔として「日本経済再生本部」(本部長/総理大臣)を立ち上げ、年が明けて2013年1月23日、その下に「産業競争力会議」(議長/安倍総理)を設けた。経済財政諮問会議(橋本行革による2001年1月の中央省庁再編によって設置された。)も再開された。
  全国がん登録
「がん登録等の推進に関する法律」が成立

 2013年(平成25年)12月

 がん対策を推進するためには、正確ながんの実態把握が必要であり、その中心的な役割を果たすのが、がん登録です。
 2016年(平成28年)1月1日から施行された。
 

改めて
第3の矢 民間投資を喚起する成長戦略
規制緩和
 
 企業が成長する上で邪魔になっているルールを和らげてあげたり、大きく伸びそうな産業や新しい産業を産み出すために政府支援をして育てたりすることです。
 医療に関しては、将来(2030年を想定)のあるべき姿を描いた上で、「健康寿命の延伸」の実現をテーマに、戦略を策定するとした。

日本再興戦略ーJAPAN is BACK
 2013年(平成25年)6月14日に閣議決定
2014年、2015年、2016年に改定されている。
アベノミクス「三本の矢」の「第三の矢」として日本経済再生本部によって名付けられた成長戦略  

日本再興戦略改定2014ー未来への挑戦ー 
 2013年版の3つのアクションプランそれぞれの【KPI】[key performance indicator](主要業績評価指標)が明示され、施策の進捗確認と新たに講ずべき具体策が提示された。 

戦犯の末裔が三権を掌握して人体実験ビジネスの整備固め
国民を材料(動物代わり)にする人体実験
 新たな市場の創出〜世界も驚く健康長寿社会へ〜
「日本再興戦略」(成長戦略2014)の内容を分かり易く解説 
1医薬品が、インターネットで買える!
 
一般医薬品(0.04%のごく限られた例外を除く)をインターネットで買えるようになり、生活者の利便性が向上しました。
 
政府の主な取組ー原則としてすべての一般用医薬品について、消費者の安全を守る適切なルールの下デインターネット販売を可能にするため、法律を改正しました。
 
薬事法及び薬剤師法改正
 
立案→国会審議→施行準備→施行済 
2再生医療をスピーディに実用化!
 治療法のない疾患への応用が期待される、ips細胞などの再生医療の技術が実用化へ大きく近づきます。
 政府の主な取組ー細胞培養・加工について基準を定め、医療機関から企業への外部委託を可能にしました。
 
再生医療等の安全性の確保等に関する法律
 再生医療製品の迅速な実用化を図るための
承認制度などを創設しました。 薬事法改正  
3世界最先端の医療を、もっと受けやすく!
 国内で世界最先端の医療が受けやすくなります。
 政府の主な取組
保険診療と併せて受けられる保険外診療範囲を大幅に拡大します。
 (保険診療と併せて受けられる保険外診療の種類と拡大措置)
 
●患者申出療養
 【新設】

 
患者申出に応じて未承認医薬品等短期間
 (前例がない場合:現状6カ月間→
原則6週間)で使用できるようにする制度を創設
 
●先進医療
 
評価迅速化効率化(抗がん剤、再生医療、医療機器で実施)
 ●治験
 治験参加基準を満たさない患者が治験薬を利用できるケースを拡大  *保険外診療の部分は、原則全額患者負担ですが、併せて受ける保険診療の部分は、保険が適用されます。
 外国医師等の臨床修練制度*について、教授・臨床研究目的の追加や有効期間の延長を行いました。
 *医療の研修を目的として来日した外国医師等に対し、その目的が十分に達成できるよう、特例的に診療を行うことを認める制度。
 地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律
 立案→国会審議→施行準備→施行済 
4ICT等による合理化で、さらに健康な日本へ!
 (ICT:情報通信技術。information and communication technologyの略称である。)
 便利で、切れ目ない医療・介護サービスを受けられます。
 たとえば、広島県呉市では、電子化されたデータを用いて保健指導等を行い、健康づくりの推進と医療費削減を両立しました。
 政府の主な取組
ー医療保険者に対して検診情報等のデータの分析に基づく保健事業の実施を求めるなど、予防・健康管理分野でのICT利活用を促します。
 予防・健康管理分野でのICT利用促進(健康保険法に基づく保健事業の実施等に関する指針(告示)の改正等)
 立案→施行準備→施行
 
複数の医療法人や社会福祉法人等を統括して経営できるようにするなど、医療・介護等の事業の経営を高度化・効率化します。
 
 
5新たな市場(農業、医療、エネルギー)の創出
 
世界も驚く健康長寿社会へ
 農業はより大規模に!より自由に!
 電力会社を選べる時代へ
 


 治療薬も「動物実験」を省略して、直接エイズ患者で試せば「人体実験」である。動物実験をしないで「幹細胞移植」をやった京都府立医科大学の例でわかるように、それが731部隊である。以下の2人が戦後京都府立医科大学学長に就任している。

北野政次  731部隊の第2代部隊長
吉村寿人 731部隊第1部第3課長で731部隊で人間を使った残酷な凍傷実験を行ったことで有名。 

21世紀になると、産学官(厚生労働省・文部科学省・経済産業省)が連携して、再生医療薬の世界最短の実用化

 戦後、った彼らは、今度は「高度先進医療:がん創薬」という、平時に国民皆保険制度を利用して、日本国民人体実験材料にする「金儲け殺人ビジネス)」を考え出した。元731部隊の軍医たちはどこまでも「国民の生き血」を貪る。
 彼らが簡単に大金を得るには
人体実験(生体実験)しかない。人体実験ビジネのうま味を知った殺人鬼ら(元731部隊の軍医ら)は、人体実験殺人ビジネスにしがみつく。

 業務マニュアル(犯行手口)「動物実験」「厚生労働省承認」省略できる「自主臨床試験」で、薬剤手術適応外使用も可能である。

 自主臨床試験によれば『治験の規則』を全部無視して、『金儲け』(密室人体実験殺人ビジネス)ができる。殺しの報酬は集金の手間をかけることなく、国の保険から自動的に入金される。

 自主臨床試験を認めたのは厚生労働省で、731部隊の仲間である。

【実例】
 (1)東京女子医大病院で集中治療室(ICU)で、人工呼吸中の小児への使用が禁忌である鎮静剤プロポフォールを投与された男児が死亡。
 「
禁止鎮静剤(プロポフォール)12人死亡 15歳未満 63人に投与 因果関係は否定)」2014年6月12日付「毎日新聞」
 
殺人行為(小児への投与が禁忌剤の鎮静剤プロポフォールの大量投与。成人に換算すると、通常2.52.7倍が使われた。)は肯定される(冨嶋)。

 (2)群馬大病院では腹腔鏡手術で患者の死亡が相次いだ事件(11人死亡)です。

 企業主導型治験医師主導型治験では動物実験を省略することはできない。承認申請はどちらも製薬企業が厚生労働省にする。
 医師(元帝国大学医学部)・製薬企業・厚生労働省の根は731部隊にある。

 

目 次
高度先進医療を誤解していませんか?

● 731部隊と米国の密約の経緯

 

   石井 四郎1892年・明治25年- 1959年・昭和34年)は、日本の陸軍軍人軍医将校)、医師。最終階級は陸軍軍医中将功四級医学博士
 岳父(妻の父親)は荒木寅三郎細菌学者、京都帝国大学総長)。
 

 1945年(昭和20年)8月、ソ連軍の侵攻を受けて、大本営は731部隊長「石井四郎(53歳)」に命じた。部隊の存在が明るみに出ると、天皇にまで累が及ぶ。一切証拠物件は永久にこの地球上から雲散霧消するように」と……。
 8月17日、ソ連軍がハルピンにあった731部隊の施設に到着している。が、彼らがそこで目にしたものは、燻(くすぶ)る瓦礫(がれき)の中にそそり立つ2本の煙突だった。部隊は間一髪、すべて
引き揚げ完了、施設はことごとく爆破していた。

 石井たちは、すでにその頃、朝鮮半島の南端・釜山に着いていた。そしてそれから後、GHQの追及を逃れるために行方をくらましている。驚いたことに、石井は故郷の千葉で自らの「偽装葬儀」まで執り行っていた。アメリカ当局の資料にはこうあった。

1945(昭和20)年11月10日、死亡を宣告され、千葉県山武(さんぶ)郡千代田村(加茂)にて葬儀が行われた。諜報員によるとこれは偽装葬儀で、石井は千代田村長の助けを借り、地下へ潜った様子。

 が、GHQにより所在を突き止められた後、石井に対する尋問は複数回、行われた。中でも細菌学を専門とするノバート・フェル博士とのやり取りは衝撃的だ。石井はフェル博士に、ある取引を申し出ていた。

「もし、あなた方が私自身と上官、部下宛に文書で免責を保証するなら、すべての情報を提供できるのです」。続けて石井は、すっかり米国側になびいた様子で、細菌戦エキスパートとしてアメリカに雇っていただきたい」とフェルに売り込み、「ソ連との戦争準備のために、私の20年にわたる研究実験成果をアメリカに提供できるのです」と誇らしげに語るのだった。
 
 
フェル・レポートによれば、フェル博士は《細菌兵器用の各種病原体によって死亡した200人以上捕虜から作成された顕微鏡用標本約8千枚が存在する事実を突き止めていた。大本営の命令に背き、非人道的所業証拠である研究資料ハルピンから持ち出されていたのである。

 実験資料は汽車、船舶を使い運ばれていた。石井は京都帝国大学医学部を卒業していたが「京都はもう危ない。米軍に狙われている」と判断し、後輩軍医のいる金沢を目指したという。資料は分散させ、千葉の石井の実家、さらには「東京第一陸軍病院」においても隠し持っていた。

石井とGHQとの「9カ条の密約」

 以下は資料を手にしたフェル博士の報告

マックェール中佐が船積みしてくれた資料(病理標本顕微鏡写真印刷物)は非常に良い状態でアメリカに到着した。……これまでに得られた情報はわれわれの研究にとって非常に有益であり、多大な価値をもつことは確実である。

 さらに石井とGHQ側との間では「9カ条の密約」が交わされていた。その第2第4項――。
日本人研究者は「戦犯訴追」から絶対的保護を受けることになる。
ソ連訴追及びそのような(戦犯を問う)行動に対しては、絶対的保護を受けるものである。

 つまりは戦犯に問わないだけでなく、対立するソ連からもGHQによって完全に守られる、という状況を石井たちは保証されたのである。この約定により、元731部隊の医師たちはある報告書を作成し、GHQに提出する。「19人の医者による(人体実験)リポート」。そして結果として、石井は東京裁判に召喚されることすらなかったのである。

 石井四郎が亡くなったのは1959年(昭和34年)、67歳だった。喉頭癌(こうとうがん)が進行し、最期は声を失っていたという。細菌兵器はいまだ根絶していない。(デイリー新潮編集部 2019年8月8日 掲載)

 アメリカに渡った731部隊の人体実験(生体実験)のデータとノウハウは、早くも朝鮮戦争(1950年・昭和25年))やベトナム戦争(1960年・昭和35年)に使われた。
 それまでベトナムでは一度も発生したことのない
ペストが流行したという。

 米国武器商人日本戦犯関係者(731部隊・アヘン密売の実業部隊)を地球上から一掃しなければ、人類の生存と安寧はない。理由:彼らは決して反省しない。 

AFPBB NEWS 2019年11月24日  13:07

フランシスコ教皇、長崎でスピーチ
核兵器使用武器取引を批判

 爆心地公園で行ったスピーチで教皇は、核兵器の使用と拡大する武器取引を激しく批判し、1945年8月の原爆で「言葉にできない恐怖」を受けた人たちに思いを寄せた。

 教皇はさらに、核兵器は安全保障や平和と安定を希求する上で「解決策にはならない」と述べ、「むしろ核兵器はいつもその望みの実現を妨げているように思われる」と語った。

 教皇は厳粛な面持ちで、「ここは、人間が互いにどれほどの苦痛と恐怖を与えることができるのかということを、われわれに深く気付かせる場所だ」と述べた。

 スピーチの中で教皇は、「相互破壊や恐怖や完全破滅の脅し」と「平和」は相容れないと指摘。「多くの子どもたちが非人間的状況で生活している」中にあって、武器取引によってお金が浪費され、一部の人がをなしていることは「天に対する公然たる侮辱だ」と批判した。

 教皇は、白い花輪を手向けて静かに祈りをささげ、原爆投下後に死んだ弟を背負う少年の写真「焼き場に立つ少年」の横に立って、スピーチを行った。雨が降りしきる中、白いレインコートを着た大勢の人が教皇の話に耳を傾けた。

共同通信 2019年11月24日  23:55

 兵器製造しながら
 どうして
平和について話すことができるのか

 日本は経済的に高度に発展した社会ですが
 社会的に孤立している人が決して少なくなくー
 いのちの意味がわからず
 自分の存在の意味を見いだせず
 多くの人が当惑し不安を感じている
 “命の大切さを再認識し支え合って生きることが大事”

時事通信社 2019年11月26日  11:12

ローマ教皇、日本に感謝=「今後も記憶」帰国の途に

学問の自主性と自由の保持

「どんな複雑な状況でも、自己の行動において、公正で人間的であり、責任を持ち、決然とし、弱者を擁護する誠実な者になってほしい」

東洋経済 ONLINE
ローマ教皇が日本来日で残した「珠玉の言葉」
“ゾンビ(Zombie)のような生活”への警鐘
草薙 厚子 2019/12/01 07:40
ゾンビとは、何らかの力で死体のまま蘇った人間の総称をいう。  

 

 11月25日、東京ドームは5万人の熱気に包まれていた。日本では38年ぶりとなるカトリックの頂点・ローマ教皇によるミサのためだ。

 来日記念として、現地ではファイルや記念メダル、Tシャツ、キャップなどの教皇グッズの販売も行われていた。「SOLD OUT」のグッズもあり、そのすさまじい人気ぶりがうかがえた。

午後4時、参加者のテンションが上がる中、テーマ・ソング「PROTECT ALL LIFE ?時のしるし?」の歌が始まると、フランシスコ教皇がトヨタの燃料電池車「MIRAI(ミライ)」の特注のエコカー、「パパモービレ」に乗って現れた。笑顔で手を振り、時折、幼子に祝福を与えながらゆっくりとグラウンドを一周する教皇に、信徒たちは熱狂した。

 今回のミサは、アジア各国からはもちろん、南米、ヨーロッパからも多数のメディアが取材のため来日していた。記者の中には敬虔な信徒もおり、ミサの最中、聖体拝領のときには、レポートを放り出して記者席を飛び出し、パンを授かりにグラウンドまで出て行く人もいたのが印象的だった。

教皇のユーモアとアドリブ

 最も注目すべきは、フランシスコ教皇からのメッセージである。長崎では核廃絶に向けての平和のメッセージを述べ、広島では戦争での原子力使用を犯罪だと語った。また、東日本大震災の被害者との面会では復興を勇気づけ、また原発に対する懸念を表明。そして若者たちとの「青年との集い」では、いじめや差別の問題について述べた。

  「太っていると言われたら、そっちが痩せすぎなんだと言い返すんだよ!」

 ドームでのミサの前、午前中に行われた「青年との集い」では、3人の若者の悩みを聞き、それに対して教皇は用意されたテキストをそのまま読むのではなく、ユーモアのあるアドリブを交えながら自らの言葉で語った。また、社会から阻害されている「孤独」については、弱者の孤独に寄り添い続けたマザー・テレサの例を出し、受け入れることの大切さを説いた。

 途中で話が独りよがりにならないように、「この話はつまらない?」と聴衆に問いかける。「No!」という言葉が返ってくると、間をおいて「もうすぐ終わるから」と言って話し出す。こういったユーモアセンスが教派を問わず、多くの人に親しみやすさを感じさせるのだろう。教皇は、青年たちからプレゼントされた教皇のイラスト入りの法被(はっぴ)を白い法衣の上から着て写真を撮るなど、サービス精神も旺盛だった。

 東京ドームのミサでの説教では、教皇は「日本は、経済的には高度に発展した社会だが、今朝の若者たちとの集いの中で気づかされたことがある」と語り始めた。そこには38年前にはなかった、「経済戦争」に対しての警鐘の言葉が含まれていた。

未来は多種性、多様性にこそ、実現するもの

 「いのちの意味がわからず、自分の存在の意味を見いだせず、社会からはみ出していると感じている人が多く、家庭、学校、共同体は、一人ひとりが支えを見いだし、他者を支える場であるべきなのに、利益とか効率を追求する過剰な競争意識によってますます傷ついていて、多くの人が当惑し、不安を感じています。過剰な要求や平和と安定を奪う数々の不安によって打ちのめされているのです」

 教皇はこう述べた。競争力生産性を追いかけてばかりだと、日常生活で感動したりする感性が失われてしまう。他者と共存していく人生を喜べずに、心の鼓動は止まってしまう、それはまるでゾンビのようだと語った。

 「主イエスは食料や衣服といった必需品が重要ではないとおっしゃっているのではありません。何としても、命をかけてまで成功を追求したいという思いに心がとらわれてしまい、孤立することがないよう、わたしたちの日々の選択について振り返るよう招いておられるのです」

 「青年との集い」の中では日本の若者には文化的、宗教的な多様性が存在していて、未来はモノトーン一色ではなく、多種性多様性にこそ、実現するものだと語った。

 「世俗の姿勢は、この世での己の利益や利潤のみを追い求め、利己主義は個人の幸せを熱望しますが、実際には巧妙にわたしたちを不幸な奴隷にしてしまいます。そのうえ、真に調和のある人間的な社会の発展を阻むのです」

 教皇は政治的な影響力も多大だ。これまでもトランプ大統領の政策に対してもはっきりと批判をしてきた。

 「完全でなく、純粋でも洗練されていなくても、愛をかけるに値しないと思ったとしても、丸ごとすべてを受け入れる。そして障害をもつ人や、弱い人を受け入れ、共同体として傷ついた人を癒やし、和解とゆるしの道をつねに示す野戦病院となることです」

 教皇は教会の役割として、どのような人も受け入れる「野戦病院」となることを提唱した。司祭に対しても教会の中にいるのではなく、外へ出なさいと諭す。そして貧しい人、声を上げられない人の声を聞き、実際に何が起こっているかを自らの目で確かめることが大事だと説いている。それを実践しているのがまさにフランシスコ教皇なのだ。

カトリックの改革はまだ道半ば

 しかしながら、歴史と伝統に守られてきたカトリックの改革はまだ道半ばである。25日、母国アルゼンチンの裁判所は、聴覚障害児童に性的虐待を行った罪で、加害者の2人の司祭に懲役40年以上という判決を下した。教皇はブエノスアイレス大司教だったこともあり、責任を問う声も挙がっているという。82歳という高齢でもあるため、在位中にできる限り改革を推し進めなければならないという思いが教皇にはある。

 日本におけるカトリック信者の数そのものは高齢化社会、少子化によって減少の一途をたどっているが、フランシスコ教皇のオフィシャル・ツイッターのフォロワー数は1800万を超えている。今回の訪日でも異なる世代に対して、わかりやすい言葉で伝えようとする教皇の言葉に感銘を受けた人も多いだろう。

 社会生活の中で窮地に追い込まれたり、孤独を感じたときにこそ、教皇の言葉は生きてくるのではないだろうか。

 731部隊は人体実験網を元帝国大学を堡塁に全国の医学会・医療機関に張り巡らした。

北野政次   京都府立医科大学学長
731部隊の第2代部隊長
 
中黒秀外之   陸上自衛隊衛生学校校長
731部隊大連主張所でペスト菌の研究 
田中英雄   大阪市立医科大学長
731部隊第2部実施研究の昆虫班長で、ペストノミの研究で約70人以上を人体実験した。 
関根隆
(旧姓安川)
 
水産大学学長
731部隊で食品衛生学の研究ペスト班
小林六造  国立予防研究所初代所長
京大教授、防疫研究嘱託
 
戸田正三  金沢大学学長
京大教授 内地の医師を731部隊に動員
 
木村兼  名古屋市立医科大学学長
京大教授で、多くの若い研究者を731部隊に送った。 
吉村寿人  京都府立医科大学学長
731部隊第1部第3課長で731部隊で人間を使った残酷な凍傷実験を行ったことで有名。
1978年には「環境適応学」の先駆的業績を挙げたとの理由で
勲三等旭日賞を授与している。
 
鈴木俊一  (当時)731部隊山西省分遺隊主計部
(戦後)1958年(昭和33年)第2次岸内閣で内閣官房副長官に就任し、岸信介首相を支える。
1979年(昭和54年)東京都知事選挙に出馬し初当選。以後1995年(平成7年)4月まで
4期16年の長きにわたり東京都知事を務めた。正三位、勲一等旭日大綬章を授与。

 石井四郎は全国の医科大学から大勢の医学生を731部隊に動員した。

 政府が売国奴に勲章を授与するのは、戦争犯罪ロンダリングするセレモニーである。

ポスト冷戦の世界史
 激動の国際情勢を見通す
 株式会社ウェッジ
 米国の武器商人(ブッシュ大統領父子)が世界中から活力のパワーを殺いだ。

 米ソ冷戦終結(世界史の劇的な転換点)である「ベルリンの壁崩壊」から11月9日で満30年になる。当初は、多極化した「協調的」世界秩序が形成されるとみられていたが、30年経った今日米中対立をはじめとした「競争的」多極化した秩序へと移行している。

 最初10年間は、ベルリンの壁が崩壊した翌月の1989年12月に開かれたマルタ会談から始まった。そこで米国のブッシュ(父)大統領とソビエト連邦のゴルバチョフ書記長「冷戦は終わった」と正式に確認した。当時は米国ソ連和解して手を結び、欧州はECからEUへと統合が進み、もう一つの超大国となるのではないかとみられていた。

 また、アジアでは日本が「隆々たる経済大国」として躍進を続けており、将来的には米国に肉薄するほどの経済力をつけ、政治大国としても世界で大きな役割を果たしていくのでは、と言われていた。他方、中国は同年6月に天安門事件を起こして孤立しており、「冷戦後の平和と協調」の流れの中で生き延びるためには、国際協調に努めざるを得ない立場にあった。

 このような冷戦終結直後の世界は、幾つもの大きなパワーが互いに協調し合う多極化した「協調型・多極世界」というイメージがあった。バックス・アメリカーナ(米国による覇権)が終わり、国連を中心とした「バックス・コンソルティス」(他国協調による国際秩序の維持管理)という言葉を国際政治学者は好んで使っていた。

 しかし、1年も経たずして、複数の国が協調して「国際秩序をガバナンスすること」は大きな壁にぶつかった。90年7月に開かれたG7ヒューストン・サミットブッシュ大統領取り仕切ったが、各国の首脳は、「米国はもはや盟主ではない」といわんばかりに、特にフランスミッテラン大統領ドイツコール首相が、米国に対して多くの厳しい注文をつけ米国に挑戦するような議論を行った。
 日本も海部俊樹首相が日本の経済問題による窮状を世界に訴えた。冷戦の終結によって、国際政治の場における米国の影響力には大きな陰りが見えたかに思われたが、まさにその瞬間、事態は大きく変転していく。

 91年1月に始まった湾岸戦争だ。前年夏、サダム・フセインのイラクがクウェートに侵攻し、米国は外交力、政治力、軍事力の面で圧倒的なリーダーシップを発揮する。イラク制裁の国連決議を取りまとめ、50万人を超す米軍を中東湾岸に派兵し、トマホーク・ミサイルなど最新のテクノロジーや秘密兵器を投入し、数週間でイラク軍を蹴散らした。(武器商人独擅場だった。冨嶋)

 軍事力中心とした覇権的のある大国だけが「世界秩序の主宰者」になるべきだ、という米国の主張を世界にまざまざと見せつけた戦争だった。つまり、この湾岸戦争によって米国は文字通り“目にモノを見せ”て、「多極化する世界」という潮流を逆転させ、「一極の世界」へと変質させたのであった。

 米国の脅威に怯え軍拡に突き進む中国
 しかし、その結果、多極協調型の新秩序の模索は潰え、欧州や中国など他の大国の間に
「いかにして米国に対抗するか」という長期国策を植えつけることにもなった。
 また、
湾岸戦争以後、逆に中東秩序流動化が始まり、「9.11」イラク戦争へとつながってゆく。

 米国の一方的な力の行使を見せつけられたソ連では、マルタでの「米ソ協調による平和」という誓約が反故にされ、「米国に裏切られたのではないか」という思いが湾岸戦争後、ロシア人エリートたちに定着し始め、米国の意図に強い危機感を抱くようになった。
 中国も同様で、人民解放軍を中心に、湾岸戦争で見せつけられた米国の先端的な軍事技術について深刻な脅威感が広がり、さらに
米国「覇権への意志」を痛感した中国は、対米対抗心を強め、ここから大規模な軍拡へと突き進んでいった。

 このように冷戦の終焉直後は「協調型・多極世界」に移行していくと思われていたが、湾岸戦争を機に世界秩序の潮流は、表面的な一極構造の底に潜在的な対立を含んだ「競争型・多極世界」への流れへと変わった。かくして、「物事の本質というのはその誕生のときにすべて現れる」という格言が示すように、この30年を顧みたときに、ベルリンの壁崩壊から湾岸戦争を経て、91年12月のソ連崩壊までのわずか2年という短期間で、今日の世界秩序の基本的な構図がすでに明瞭に映しだされていた。

世界秩序は「競争的多極化」

 「大いなる挫折」味わう米国
 冷戦終結から
2番目10年間である2000年代を振り返ると、前述のように湾岸戦争の余波としての
「米国同時多発テロ」01年9月11日に起き、21世紀はじめの世界情勢に大きな影響を及ぼした。同年の1月に発足していたブッシュ(子)政権「テロとの戦い」を揚げ、アフガン戦争イラク戦争へと突き進んでいった。しかし、いずれも所期の目的を達成できず、「大いなる挫折」の戦争となり、約20年経った今も尾を引いている。


 京都大学名誉教授 中西輝正
 
英ケンブリッジ大学歴史学部大学院修了
 専門:国際政治学 国際関係史

 

● 高度先進医療を誤解していませんか?

 

 白血病治療薬、1回の投与金額が3349万円かかる「キムリア」が、健康保険対象になったことが話題となっています。
 *「キムリア」は2019年5月22日から日本で健康保険適用が決まった。スイスに本社を置くノバルテイス社が発売。
 なんと、健康保険対象になったことで、3349万円かかるこの薬を、自己負担約40万円で使うことができるようになったのです。しかも、70歳以上の普通の収入の人なら、5万7400円の自己負担です。
 なぜ、これほど高価な薬が、こんなに安い自己負担で使えるようになったかといえば、
健康保険対象医薬品と認められたからです。
「日本には世界に冠たる
公的医療保険=健康保険があり、現役なら3割負担。入院費が月100万円かかっても3割の30万円ですが、その費用が一定額で収まる高額療養費制度があるので、年収約370万円から約770万円の現役世代なら、実際の支払いは8万7430円で済む」。1年ほど前、このコラムでそのように書きました。しかも、4ヵ月目からは4万4400円になるので、半年入院して月100万円の治療を続けても、自己負担は40万円程度。ただ、その後「でも、健康保険では先進医療など本当によい治療はできず、全額自己負担になるのでしょう?」と聞かれました。

 がん
も、9割健康保険治療

 確かに、高度先進医療は、健康保険の対象外となっています。
 ただ、日本では、本当にいい治療で多くの人に効くと認められたら、
「キムリア」のような高価な薬でも、健康保険の対象になってきます。「キムリア」だけでなく、何千万円もかかる「オブジーボ」や手術ロボット「ダヴィンチ」などもよいという評価が定まり、次々と健康保険対象になっています。

 ポイント
 高度先進医療という言葉を聞くと、言葉のイメージから、高度で先進的でよい治療だと思う方も多いようですが、実際にははっきりとよいという評価定まらないので公的保険対象外になっているもの」なのです。
 ですから、
「健康保険対象となる予備軍のような治療」だと思えばいいでしょう。高度先進医療が、必ずしも本当によい治療だとは限りません。

 生命保険に高度先進医療の特約をつける人も多くいます。それ自体はよいのですが、特約料金は200円前後。これくらいの特約料で保障されるということは、そもそもそれほど多くの人が使っていないということ。
 いまはがんになっても、
9割以上健康保険治療がん克服しています。初期がんなら、ほとんど健康保険っています。
 としたら、もっと公的保険を使いましょう。健康保険は、財政面で厳しい状況にあります。ところが、病院によっては高齢者の社交場のようになっているところもあり、治療が必要な切迫した人でも長時間待たされるというケースが後を絶ちません。いまの健康保健を守るためにも、健康に心掛け、大したことでなければやたらに病院には行かないことが大切ではないでしょか。
 
筆者:荻原博子 1954年生まれ。近著に「年金だけでも暮らせます」(PHP新書)、「定年前後のお金の裏技」(SB新書)がある。

(上)「ダヴィンチ」腹腔鏡手術支援する、内視鏡手術支援ロボットのこと

 出典:『婦人画報』 Augaust 2019 経済 ECONOMY

 https://www.man.com/ja-jp/news/opinion
文春オンライン
 
大炎上「血液クレンジング療法」日本医療界笑えるか現役内科医が明かす“衝撃の事実”
 谷本 哲也 2019/11/07 06:00

血液クレンジング療法がネットで大炎上している。

 私は20年以上にわたり日本の医療現場で働いてきた内科医だが、不勉強ながらこの血液クレンジング療法なるものを報道に接するまで知らなかった。なんでも100から200ミリリットル程度の血液を抜いて、体外でオゾンガスなどと混合し、また体に戻すというもので、オゾン療法、大量自家血オゾン療法などとも呼ばれているようだ。

 日本においては、健康保険では認められていない自由診療として、美容やアンチエイジング(抗老化・抗加齢)などの分野で特に用いられているとのこと。提供している施設を調べてみると、その他にも標準的な医療機関では普通は行わない自由診療の項目が、いくつも並んでいた。

最悪の場合は死に至る可能性も

 とはいえ、日本では自由診療だが、海外では公的に認められている治療法も珍しくない。そこで、医薬品や医療機器を公的に規制する組織として、世界的な影響力を持っている米国食品医薬品局(FDA)での状況を調べてみた。するとFDAに関連する米国政府の法律の中( 連邦規則集 Title 21: Sec. 801.415. )に、このような記載を見つけた。

 「オゾンは毒性を持つガスであり、特定の治療や補助療法、さらには予防医療のいずれにおいても、臨床応用が有用だとする定まった知見がない。オゾンが殺菌作用を発揮するためには、人間や動物が安全に耐えられる許容量よりはるかに高濃度が必要になる」

 薬理作用を出すためにたくさんの量を使うと生物にとって毒になってしまい、逆に、安全に使うために少ない量しか用いないと何の効果もなくなってしまう、ということだろう。また、一度抜いた血液を体内に戻す際には、一歩間違えればバイ菌が混入したり、血管が詰まる血栓症になったりするリスクがある。そうなると、最悪の場合は死に至る可能性もある。

プラセボ効果と「上級国民」意識

 ――と、ここまで調べただけでも、「ほとんどの医者が、お金をもらったとしても自分自身や家族には行わない治療法だな」というのが、正直な印象だ。施術を受けた芸能人たちが「元気になった」と感じたのも、プラセボ(偽薬)効果によるものだったのだろう。

 プラセボ効果とは、薬や治療法そのものには何も効果がなくても、心理的な暗示作用で患者が本当に効き目を感じる現象のことをいう。血液クレンジング療法では、体外でオゾンと一緒に酸素ガスと混合された結果、最初は青黒かった静脈血が鮮やかな赤色になる。赤血球に含まれるヘモグロビンが酸素と結合することで、動脈血の赤色へと変色するのは当然の話なのだが、見た目のインパクトが強い上に、もっともらしい医療設備と医学用語の御託をならべ立てることで、プラセボ効果が出るのだろう。

 さらに、血液クレンジング療法が芸能人らセレブの御用達になったのは、比較的高額な自由診療で特別感が演出されていることも、その理由の一つだと考えられる。日本国民皆保険で、有効性が認められている治療法はほぼ全て保険診療で受けられるのだが、血液クレンジング療法は一般人と同じ治療では満足できないセレブ達の、いわゆる「上級国民」的意識をくすぐったのではないだろうか。

こういう場合、医師はどのようにエビデンスを調べるのか?

 米国政府からは完全否定されている血液クレンジング療法(オゾン療法)だが、19世紀末に人体への応用が始まるなど、それなりの歴史はあるようだ。イタリアやドイツなどヨーロッパを中心に、中国などでも正統派の医療とは異なる代替医療の一種として実施されてきた。

 では、このような情報に接したとき、医師がその医学的なエビデンスをどう調べるのかご紹介しよう。

 私がよく行うのは、いくつかある英語のデータベースを使って、医学専門誌に掲載された論文や診療ガイドラインなど、信頼できる情報をチェックする、という方法だ。残念ながら医学論文を含めた日本語の情報は、学術的には質も量も十分ではないとの世界的な共通認識があるため、やはり英語の情報に頼らざるをえないのだ。

 血液クレンジング療法は、英語にすると 「オゾン・オートヘモセラピー(Ozone Autohemotherapyまたは Autohaemotherapy)」となる。ためしに有名なデータベースの一つ、アメリカ国立衛生研究所が運営する国立医学図書館のパブメド(PubMed)でキーワード検索すると、少なくとも84報の論文が発表されていた(2019年11月5日現在)。

血液クレンジング療法の“有効性”は示されている?

 それらの論文の中には動物実験などの基礎研究もあるが、一部では人間対象にした研究(臨床試験)も発表されている。さらに、血液クレンジング療法をする/しないで比較した、信頼性が高いとされる「ランダム化比較試験」もいくつか行われている。

 たとえば、2012年に国際眼科学雑誌に報告された論文では、イタリアのシエナ大学の研究者がランダム化比較試験を行っている。ある種の眼の病気を持つ140人の患者を2つのグループに分け、片方はビタミン剤療法、もう片方は血液クレンジング療法を行い、どちらで治療効果が出たのか比べてみたのだ。その結果、血液クレンジング療法は特段の副作用もなく、実際にビタミン剤療法を上回る視力の改善効果が観察されたと結論し、抗酸化分子の産生を促すような検査結果も確認したと書かれている。

 すなわち、13世紀に創設された由緒あるシエナ大学から、信頼性の高いランダム化比較試験が国際誌に発表され、“有効性”が示されているわけだ。こう書くと、やっぱり血液クレンジング療法には効果があるのではないか――と思われる方もいるかもしれない。

 しかし、ここに医療難しさがある。ポジティブな研究結果がいくつか出ただけで、「この治療法には効果がある」と広く認められるわけではないのだ。病気の種類や患者の状態、さらには偶然性や研究者の思い込みなどによっても、容易に研究結果は左右されてしまう。実際、一部の研究者によって当初は有効だとされた治療が、その後の研究(追試験)で結局は無効なばかりか、有害だったと評価がひっくり返ることも珍しくない。

掲載されているのは聞いたことがない専門誌ばかり

 私が検索した限り、血液クレンジング療法に関する論文には、有効性を謳うものも確かに散見されるが、研究のレベルは総じて低く、掲載されている専門誌も聞いたことがないものばかりが目についた。それどころか、心筋梗塞や不整脈といった重篤な副作用を報告し、安易な実施に警鐘をならす論文すらある。

 英語の医学専門誌は1万種類以上あるが、世界中で称賛される超一流誌から、紙屑のような誰も読まない雑誌まで、厳然としたヒエラルキーが存在している。そのうえ、超一流誌の論文ですら捏造事件がしばしば起こるし、お金を積まれれば質を問わず何でも掲載してしまうハゲタカ学術誌も跋扈している。一部の施設がマイナーな専門誌に少し報告を出したくらいでは、世界の医学界の主流派からは認めてもらえないのだ。

 血液クレンジング療法について、美容やアンチエイジングに対する効果を証明した論文も見当たらなかった。

 結局死亡につながる副作用も起こりうる「研究段階治療方法(人間対象にした臨床試験人体実験)」が、一部医療機関金もうけ手段になっている、というのが真相のようだ。

日本医療界が抱える“問題”との繋がり

 しかし、私は血液クレンジング療法を単なる「トンデモ治療」として一笑にふすことはできないと思っている。この騒動は、日本の医療界が抱える“問題”と深いところで繋がっているように感じるからだ。

 たとえば、大した有効性もない高価新薬を、大手製薬メーカーから多額謝金を受け取った大学教授ら宣伝するのは、残念ながら日常茶飯事になっている。芸能人などのインフルエンサーが、お金をもらってSNSでステルスマーケティングを行うのと全く同じ構図だ。

 それに釣られた一般の医師も、何の疑いもなく安価な既存の薬より新薬の方を処方している。つい最近もインフルエンザの新薬ゾフルーザが、安い既存の薬タミフルやその他ジェネリック医薬品と同じ効果しかないのに大量に処方され問題となった(朝日新聞デジタル「 インフル治療に新薬ゾフルーザ 専門医が慎重なワケは 」等を参照)。これでは、営利目的血液クレンジング療法同じ穴ムジナとの誹りを免れることはできない。

日本再生医療政策一流科学誌から批判されている

 さらに、日本が国策として進めている再生医療に関しては、少数の患者で有効性が出ている“雰囲気”さえあれば、治療統計的べもせず早期承認し、保険適用を行う特別法律再生医療推進法など)まで作られている。

  戦犯2グループ「731部隊」と「アヘン密売の実業部隊」)が結託すれば、治験法を規制緩和して、人体実験解禁するなど朝飯前である(冨嶋)。

 たとえば心不全に用いるハートシートでは、7例に使用し2例は悪化、5例は良くも悪くもならない、という臨床試験結果「有効性推定されるとの評価になり、1470万円薬価がついて世界初心不全に対する再生医療製品として発売された。

 「有効性が推定される」評価し、薬価「2470万円」を承認したのは、戦犯仲間の厚生労働省である。国民を人体実験の材料(餌食)にして、国民負担の健康保険料で製薬企業と厚労省の戦犯が巨額の金をまんまと手に入れている(冨嶋)。

 海外の医者や患者がこのデータを見て、自国でもぜひ使いたいと思うだろうか? 実際、一流科学誌ネイチャー編集部は、こうした日本再生医療政策未熟かつ不当であり( premature and unfair )、やり方を何としても再考しなければならない( Japan’s government must rethink its approach )とたびたび批判を行なっている。米国一流科学誌サイエンスでも、日本再生医療政策は、世界レベル予期しない有害結果につながる( unforeseeable, detrimental consequences )として深刻懸念を示す論説が掲載された。

 これに対して、厚生労働省役人大学教授たち(731部隊関係者)は、ランダム化比較試験必要ないとまで公言し、 反論している 。
 
海外では「研究段階臨床試験人体実験」としか認めてもらえない治療について日本国家としてお墨付きえ、一部営利企業公金のだから、ある意味では血液クレンジング療法よりたちが悪いとも言える。

日本の医療行政は人体実験推進行政である(冨嶋)。

 血液クレンジング療法にまつわる今回の炎上事件は、医療のエビデンスとはいったい何なのか、目を向けて考えるよいきっかけになるだろう。いまこそ、日本医療界矜持が問われているのだ。
(谷本 哲也)

 2016年(平成28年)10月19日付「毎日新聞」

白血病新薬「キムリア」承認問題点

 一部の白血病の治療に極めて有効とされる新薬「キムリア」に対し、厚生労働省は公的医療保険の適用を承認した。キムリアはオーダーメード治療薬で、患者から免疫細胞を抽出し、その遺伝子を操作する。そして、がん細胞への攻撃を高めたうえで、それを患者に投与する。このような高度な技術と手間が必要なことなどから、その薬価(公定価格)は3349万3407円となった。保険適用で患者負担は抑えられるが、あまりにも高額な薬価が保険財政を圧迫すると批判される。

 戦犯系列の製薬企業・大学病院は保険適用により言い値で労せず、巨利をものにする。患者に誠実な医師の声は抹殺される。「再生医療高度先進医療業界商売繁盛宣伝文句にすぎない」と考える(冨嶋)。 


キムリアの保険適用を了承した中央社会保険医療協議会(厚労省諮問機関) 
 埼玉医科大学の山田悠史医師は「誰に何の目的で使うかという視点で捉えないと、“木を見て森を見ず”という議論になりかねない」と訴える。キムリアを切望しているのは主に、ALL(白血病の一種)を患い、既存薬が効かなくて命の危険に晒されている小児患者。その数は多くても年間200人ほど(開発元試算)で、1回の投与で済むため約60億円の支出となる。
 2019年5月15日時事通信フォト=写真 
東京女子医大病院で、首のリンパ管の手術(首にできた良性の腫瘍を取る手術)で、禁止剤を投与されて、12人が死亡。禁止剤を通常の2.5〜2.7倍を投与されて急死した2歳の男児の父親は「人体実験データをとられたようなものだ」と言った。犠牲者は小児ばかりだった。報道当時、なぜ「犠牲者が小児ばかりか」と疑問に思った(冨嶋)。
群馬大病院では腹腔鏡や開腹の手術を受けた後に、2007年から2014年の間、患者64人が亡くなっている。患者18人を死亡させたことが判明している医師は、退職で、逮捕もされていない。

日本は人体実験殺人医師の無法地帯である(冨嶋)。 

 本庶氏小野薬品提訴へ 「オプジーボ」特許めぐり
 
2019年7月27日(土)11:31配信 朝日新聞デジタル
 がん免疫治療薬「オプジーボ」の特許をめぐり、本庶佑・京都大特別教授が、薬を製造販売する小野薬品工業(本社・大阪市)に対し、特許使用料などの対価を求めて近く提訴する方針を固めた。代理人の弁護士が明らかにした。

 高度先進医療界は銭ゲバ内ゲバ
 カネ
しか見ていない。落ちたものだ。
 本庶氏は1992年にオプジーボの元になる分子「PDー1」を発見。昨年のノーベル医学生理学賞を受賞した。だが、特許を共有する小野薬品からの特許使用料の配分の少なさに不満を示し、特許の対価をめぐって対立していた。

 
公益財団法人 先進医薬研究振興財団
英文名  SENSHIN Medical Research Foudation 
行政庁  内閣府 
所在地  〒532−8505大阪市淀川区加島三丁目16番89号 
設立年月日  1968年(昭和43年)12月12日 
移行登記日  2011年(平成23年)4月1日 
理事長 

村松 実
 
田辺三菱製薬 常務執行役員
 内部統制・コンプライアンス推進部担当、広報部担当、 法務知財部担当、情報システム部担当、
 チーフ・コンプライアンス・オフィサー

基本財産  10億円(2015年・平成27年3月末現在)
出捐会社  田辺三菱製薬株式会社 
沿革   本財団は、(1)1968年(昭和43年)に吉富製薬株式会社の寄附を受けて、“精神神経科領域における臨床薬理学及び薬物治療学の研究(精神薬療研究)の推進”を目的として、「財団法人 精神神経系薬物治療研究基金」として設立されました。
 その後、
(2)1982年(昭和57年)2月に株式会社ミドリ十字の寄付によって“血液成分その他の高分子蛋白の医学分野における研究(血液医学研究)の振興”を目的として設立された「財団法人 内藤医学研究振興財団」を統合し、1999年(平成11年)4月から「財団法人 精神神経・血液医薬研究振興財団」として財団活動を継承しました。
 
(3)2002年(平成14年)3月に、新たに“循環障害に起因する諸疾患に関する研究(循環医学研究)の振興”を目的に追加するとともに、名称を「財団法人 先進医薬研究振興財団」に変更しました。
 2011年(平成23年)4月には、
内閣総理大臣より公益認定を受け、「公益財団法人として、新たなスタートをして活動しております。
 
「公益財団法人 先進医薬研究振興財団」 
目的   本財団は、(1)“精神神経科領域における臨床薬理学及び薬物治療学の研究(精神薬療研究)”と(2)“血液成分その他の高分子蛋白の医学分野における研究(血液医学研究)”並びに(3)“循環障害に起因する諸疾患に関する研究(循環医学研究)”に対する助成顕彰等を行い、医学及び薬学に関する先進的な研究の振興を図り、もって国民の医療と保健に貢献することを目的としております。→研究者カネで取り込む 
 2019年(令和元年)7月1日現在
理事長  和田 邦義
 田辺三菱製薬 常務執行役員
 事業部門担当(事業推進、国際事業部、ヘルスケア事業部、メドウェイ推進室)
 
理事長挨拶   本財団の主たる事業は、(1)精神薬療分野(2)血液医学分野(3)循環医学分野3分研究助成です。 
常務理事  上嶋 孝博
 田辺三菱製薬 
 
 (以下理事)
安部 康二  岡山大学大学院医歯薬学総合研究科 教授 
加藤 進昌  昭和大学発達障害医療研究所 所長
(公財)神経研究所附属晴和病院 理事長 
小山 司  大谷地病院 臨床研究センター長 
北海道大学 名誉教授
 
島本 和明  日本医療大学 総長・学長
鈴木 宏治  鈴鹿医療科学大学(社会連携研究センター長 薬学部 特任教授)
三重大学 名誉教授 
武田 雅俊  (学)川崎学園(大阪河崎リハビリテーション大学 認知予備力研究センター長) 大阪大学 名誉教授 
原 寿郎  (地独)福岡市立病院機構 理事長 
福岡市立こども病院院長
 
樋口 輝彦  (一社)日本うつ病センター 名誉理事長
(国)国立精神・神経医療研究センター 名誉理事長 
堀 正二  (地独)大阪府立病院機構 大阪国際がんセンター 名誉総長 大阪大学 名誉教授  
幕内 雅俊  (医)大坪会 東和病院 名誉院長
日本赤十字社医療センター 名誉院長 
東京大学 名誉教授 
三國 雅彦  (医)函館博栄会 函館渡辺病院 名誉院長
群馬大学 名誉教授
 
峰松 一夫  (医)医誠会本部 常務理事(臨床顧問)
国立循環器病院 名誉院長
 
 以下監事
濱田 宇一  濱田宇一税理士事務所 所長 
高田 里美  田辺三菱製薬株式会社  
 (以下名誉理事名簿)
浅野 孝雄  埼玉医科大学 名誉教授 小川赤十字病院 名誉院長
南古谷病院 顧問 
池田 康夫  (学)根津育英会 武蔵学園 副理事長
早稲田大学 匿名教授 慶應義塾大学 名誉教授 
尾前 照雄  国立循環器病院研究センター 名誉総長 
笠原 嘉  桜クリニック 名誉院長 名古屋大学 名誉教授 
黒田 重利  (公財)慈圭会 慈圭病院 顧問
岡山大学 名誉教授  
齊藤 英彦  (独)国立病院機構名古屋医療センター 名誉院長
名古屋大学 名誉教授 
佐藤 光源  (医)恵風会 高岡病院 特別顧問
東北大学 名誉教授 
猿田 享男  慶應義塾大学 名誉教授 
志方 俊夫  (公財)ウイルス肝炎研究財団 理事
高月 清  (公財)田附興風会 評議員 熊本大学 名誉教授
 「熊本大学医学部」(エイズ治療薬新薬テスト)高月清(治験統括責任者・内科教授)内藤医学研究振興財団理事
早川 弘一  日本医科大学 名誉教授 
松下 正明  東京大学 名誉教授 
松本 慶蔵  (公財)結核予防会 学術相談役 長崎大学 名誉教授 
山村 秀夫  東京大学 名誉教授 
吉岡 章  奈良県立医科大学 名誉教授(前理事長・学長) 

731部隊の戦後
ボス
内藤良一

日本ブラッド・バンク
(発起人の一人:前田松苗日本赤十字社評議員)

ミドリ
十字
(民)日本十字社(官)
この2社で国内の血液事業を独占支配

 focuslights 田辺三菱解体されるべき
 
薬害肝炎訴訟は、C型肝炎ウイルスが混入した危険な血液製剤を製造・販売した製薬企業の責任を追及し、さらには、血液製剤の製造を承認した責任を追及する訴訟で、被害者が原告となって、2002年10月21日製薬会社3社『田辺三菱製薬ベネシス・(田辺三菱製薬の子会社)・ニチヤク(1987年10月にブラッドバンクの発起人会社「大五栄養化学株式会社」と合併。1990年、ミドリ十字とともに日本最後の「血液銀行」となる。)えた。

 千歳市
にある製薬会社が、遺伝子を組み換えた酵母菌を下水に流していたことがわかりました。厚生労働省は、自然界への影響はないものの、速やかに報告しなかったとして行政指導を行いました。
 行政指導を受けたのは、「田辺三菱製薬」の子会社で、千歳市の製薬会社、「バイファ」です。
 遺伝子組み換え酵母を漏洩させておきながら、しばらく隠蔽したとのこと。
 
 田辺三菱では、
2012年にも、同じ事業所の同じ製品(ベネシス)で出荷判定後に検定合格証紙貼付済みの製品の包装箱を一度開封し、ラベルの再利用を実施するというGMP(医薬品の製造と品質管理に関する国際基準)違反を行ったり、16件データ改ざんを行う等の不正を行っています。

 
別の製品(バズクロス等4製品)では無試験出荷するなど、捏造不正体質の抜けない会社です。

 こんな会社は解体されるべきじゃないかと思います。

 同じ製薬企業に務めるものとして、恥ずかしさと怒りを覚える
focuslightsでした。

 アメリカと石井四郎の密約が、731部の人体実験を引き継いだ内藤良一が設立し、要所に「元731部隊員を配置した田辺三菱」を超法規的な存在にした。産学官複合犯罪だった薬害エイズ事件から明らかである。田辺三菱にとって人体実験は既得権益であり、その上に、アベノミクスの第3本目の矢「成長戦略(規制緩和)」が放たれて、国民に不老長寿の薬の如き錯覚を抱かせて、高度先進医療という人体実験殺人ビジネスのしたい放題である(冨嶋)

 アベノミクスの第3の矢「成長戦略」の目玉の「規制緩和」【治験を実施するためのルール】「薬事法」「医薬品の臨床試験実施の基準に関する省令=GCP「Good Clinical Practiceの略」の撤廃で、実態は「人体実験解禁」である。

 
世界最速創薬【治験を実施するためのルール】完全無視しなければできない。
 
 アベノミクスの第3の矢「成長戦略」の
「規制緩和」「スピード感」が売り物で、橋渡し事業は「橋をかける」のではなくて「橋を取っ払うこと」だった。

■ 自主臨床試験とは
 世界最速創薬を実現するのが、自主臨床試験(動物実験省略・厚労省の承認省略・適応外使用可)である。
 動物実験・厚労省の承認を省くことのできない
治験(企業主導型治験・医師主導型治験)と異なり、自主臨床試験は人体実験を野放しにする。 

 2015年(平成27年)1月6日付「日本経済新聞

 胎児由来の細胞を使って脳梗塞の治療薬を開発する英リニューロンも日本に進出する。「実用化短期間で認める独自制度ができ、日本は非常に魅力的になった」(ジョン・シンデン最高科学責任者)とし、年内にも治験に入る見込みだ。

田辺三菱製薬の人体実験体質の系譜
731部隊→ブラッド・バンク→ミドリ十字
「内藤医学研究振興財団」設立
吉富製薬とミドリ十字が合併
→ウエルファイド(株)に商号変更
→田辺三菱製薬株式会社になる
「公益財団法人 先進医薬研究振興財団」設立

1943年(昭和18年)
 内藤良一は
「アメリカで学んだ乾燥血液の技術」を生かして、救世軍の校舎を借りて「乾燥血漿製造」を始めた。
 しかし、終戦前後、陸軍軍医学校防疫研究室新潟出張所は731部隊同様終戦と同時に崩壊する。

 東芝生物理化学研究所新潟支所として活動を再開する。
 支所長:内藤良一 技師長:金子順一(731部隊病理研究班) 

1950年(昭和25年)
 内藤良一、宮本光一、二木秀夫の3人が
乾燥血漿事業立ち上げ企画草案をまとめる。
 

1950年(昭和25年)11月
 
日本ブラッド・バンク設立

 ・取締役会長 岡野清豪(国務大臣) ・代表取締役専務 内藤良一
 ・取締役 宮本光一 ・取締役 二木秀夫
 

1960年(昭和35年)8月
 「第8回国際輸血学会」で、「日本の売血による保存血の多量使用は肝炎の多発要因になる」と、スイス・オランダの学者から私的され、血液銀行の在り方が強く批判される。
 

1964年(昭和39年)3月
 
ライシャワー駐日米大使襲撃事件
 
(大使は売血を使った輸血で血清肝炎に罹る)
 

1964年(昭和39年)8月
 
(株)ミドリ十字社名変更
 

1980年代 薬害エイズ事件
 1980年代に血友病患者に対し、加熱処理してウイルス不活性化しなかった血液凝固製剤(非加熱製剤)を治療に使用したことにより、多数のHIV感染者および患者を生みだした事件である。
 非加熱製剤によるHIV感染の薬害被害は世界的に起こったが、日本では全血友病の約4割にあたる1800人がHIVに感染し、うち約600人以上がすでに死亡しているといわれる。
 1985年(昭和60年)10月俳優ロック・ハドソンの死でAIDSの脅威が広く認識される。 

1982年(昭和57年)2月
 
財団法人 内藤医学研究振興財団設立
 (株)ミドリ十字の寄付によって“血液成分その他の高分子蛋白の医学分野における研究
(血液医学研究)の振興を目的に設立された。
 
助成顕彰731部隊(人体実験)を承継する研究者を取り込む。 

1986年(昭和61年)9月〜1987年(昭和62年)4月にかけて、青森県三沢市で、非加熱フィブリノゲン製剤を投与された産婦8名が肝炎に感染、薬害肝炎社会問題となる。 

1998年(平成10年)
 
吉富製薬ミドリ十字合併
 
厚生省が間に入り、「吉富の大株主である武田に救済を依頼した」の観測は根強い。

2000年(平成12年)
 
ウエルファイド(株)商号変更
 

2001年(平成13年)
 
ウエルファイドと三菱東京製薬が合併
 
三菱ウエルファーマ株式会社設立
  

2002年(平成14年)3月
 
「財団法人 内藤医学研究振興財団」から名称を財団法人 先進医薬研究振興財団」に変更
 

2005年(平成17年)
 
「三菱ウエルファーマ」と「三菱化学」で共同持株会社「三菱ケミカルホールディングス」を設立
 

2006−2007  第1次安倍内閣

2007年(平成19年) 
 「三菱ケミカルホーディングス」と「田辺製薬」が合併して「田辺三菱製薬株式会社」を設立
 
三菱ケミカルホールディングスグループ事業会社
 

2011年(平成23年)4月
 
内閣総理大臣より公益認定を受け「公益財団法人 先進医薬研究振興財団」となる。

 
安倍戦犯継承政府は解体すべき薬害製薬会社を公益認定した。 

 田辺三菱製薬が、アベノミクスの第三の矢「成長戦略の規制緩和」が誇るスピード感で達成したのは、田辺三菱製薬人体実験無法王国の築城だった。 

● 九州大学のASO患者の人体実験

 

 「近日中に文章を完成して掲載します」・・・のつもりでしたが、長文になりすぎましたので、別の機会に改めて掲載いたします。

● 血管年齢を測って生活習慣病対応

 

 脳心血管病等発症予防突然死回避

 「血圧が高いかな」と思ったら、医療機関で「血管年齢を測定する検査」を受けることをお薦めします。
 医師は高血圧と診断すると、高血圧症の殆どは「
動脈硬化(血管の老化)が原因の生活習慣病であること」から、検査技師に「CAVI検査(心臓足首血管指数)」と「ABI検査(足関節上腕血圧比)」を指示する。これにより大体の血管年齢がわかります。

検査でわかる動脈硬化症

CAVI(キャビィ)検査って?
 動脈硬化症を簡単に発見できる方法があります。それが「CAVI(キャビィ)検査」です。
 この検査では、あお向けに寝た状態で
両腕・両足首の血圧と脈波を測定する。
 時間は5分程度で、血圧測定と同じ感覚でできる簡単な検査です。
 結果もすぐに出るので、その場で医師から診断を受けることができます。 
 

 この検査では、つぎの3つを測定します。
 1 動脈の硬さ
 2 動脈の詰まり
 3 血管年齢
1 動脈の硬さ 
  動脈のかたさを表すのが「CAVI」です。動脈は血液を全身に送るポンプの役目を果たしていますが、ポンプ内側圧力(血圧)が変化したときのふくらみ具合をみることによって、ポンプのしなやかさ、つまり動脈の硬さがわかるというものです。
 動脈硬化症が進んでいるほど、「CAVI」の値は高くなり、
9.0を超えると約半数が脳動脈心臓動脈である冠動脈動脈硬化症を発症しているという研究結果もあります。
2 動脈の詰まり(足の痛み) 
 動脈詰まりを表すのが「ABI(エービーアイ)」です。
 足首の血圧を横になった状態で測定すると、健康な人では腕の血圧と同じくらい、あるいは少し高い値となります。しかし足の動脈が詰まっていると、腕の血圧に比べて足首の血圧は低くなります。
 そのため「腕の血圧」と「足首の血圧」の比をみて足の動脈の詰まりを診断するというもので、その値が
0.9未満であると詰まっている可能性が高く、その値が低いほど重症になります。
 また、その症状は「足の痛み」
(ASO・arteriosclerosis obliterans:下肢閉塞性動脈硬化症)としてあらわれることが多いといわれています。 
3 血管年齢 
 同じ性別、同年齢の健康な方の「CAVI」平均値と比べることで、「血管年齢」がわかります。「CAVI」が9.0未満であっても、「血管年齢」の高い方は動脈硬化症の進行が早いと考えられます。 

 動脈硬化症は生活習慣病が大きな要因だから、高血圧脂質異常症糖尿病などの危険因子がないかと、血液検査、尿検査、心電図検査も同時に施行される。





1日1回1錠の適切・的確な処方薬の治力
薬価は極めて廉価
同時進行:運動療法・食事療法・薬物療法

 
 血管は若返ります
あなたの心臓は私がしっかり守ります
 
医師 西原謙二(担当:火・木・日)
高血圧→130以下に安定
下肢閉塞性動脈硬化症→歩行可・楽
慢性心不全→動悸・胸部圧迫感の霧消
 
 
喋りをしながらの愉快45分間です

まとめ
 高血圧症を放置していると、
心筋梗塞脳卒中腎臓病といった重大な病気を引きおこしますが、高血圧症のほとんどは、動脈硬化が原因の生活習慣病といえるので、生活習慣を見直すことで改善できます。高血圧を軽く考えず、日常生活を工夫して血圧を下げるようにしましょう。

 高血圧症の改善対策10か条
 1 塩分はひかえめにしよう 
 2 野菜や果物を豊富にとろう
 3 コレステロールや飽和脂肪酸を摂りすぎないように 
 4 お酒を飲み過ぎないようにしよう ほどほど 
 5 タバコはやめよう 
 6 適度な運動をしよう 
 7 肥満を解消しよう 
 8 ストレスを溜めず、充分な睡眠をとろう 
 9 急激な温度差に気をつけよう
10 便秘にならないようにしよう  

 「生活習慣改善」「運動」により発症予防(一次予防)、重症可予防(二次予防)の両者が可能になります。

 動脈硬化は、脳出血(くも膜下出血)、脳梗塞、狭心症、心筋梗塞、(下肢)閉塞性動脈硬化症を引き起こしやすくなる。

■ 生活習慣病の定義について
 厚生労働省の定義「不適切な食生活、運動不足、喫煙などで起こる病気」

A 生活習慣病の病気の具体的な例
 1糖尿病
 2脂質異常症(高脂血症)
 3肥満症
 
4高血圧症

B 生活習慣病の対策がなされないと・・・
 1脳出血
 2心臓病(心疾患)
 3肺がん、咽頭がん
 4アルコール性肝疾患

C 生活習慣病の予防は重要
 このように、ひとくちに生活習慣病といっても、多くの病気があるということがお分かりいただけたかと思います。普段の生活の仕方によっては、これだけの病気になるリスクがあるということです。
 逆に生活習慣を整えることによって、多くの病気を予防することにも繋がります。健康を維持していく上で、まず、生活習慣病の予防がとても重要なものだといえます。

D 高血圧治療のポイント
1  高血圧治療目的合併症予防にあります。
山口県 山口県総合医療センター副院長 藤井崇
高血圧とは気長に一生付き合うという気持ちで向き合ってほしい。
岡山県 倉敷中央病院 循環器内科部長 後藤剛
3  高血圧治療は、自身の10年後、20年後の治療です。
東京都 国際医療福祉大学 三田病院 内科教授 内科部長 佐藤敦久
 
4  血圧が高いと分かったら、診療機関への早期受診が肝心です。
東京キ 東京労災病院 循環器科部長 酒井英行
 
5  高血圧の治療で分からないことがあったら、自己判断せず、何でも主治医先生に相談してください。
香川県 坂出市立病院 循環器内科部長 吉川圭
 
6  食事療法運動療法を続けながら、根気強く治療に取り組みましょう。
長崎県 長崎記念病院 循環器内科部長 吉武孝敏
 
7  薬物療法で薬を継続して服用すること(血圧は目標値までしっかり下げること)が大切です。
群馬県 前橋赤十字病院 副院長 丹下正一
 
8  高血圧を放置せずきちんと治療することが、心臓病予防第一歩です。
福岡和白病院 ハートセンター長 齊藤太郎
 
9  医師との信頼関係を築き、一緒に血圧を管理していきましょう。
高知県 近森病院 循環器科 主任部長 川井和哉 

 高血圧の治療は、血圧を下げることが最終目的ではありません。高血圧はさまざまな病気を起こしやすくするので、血圧を下げることで、将来発症するかもしれない合併症ぎ、健康寿命ばすところに本当目標があるのです。高血圧によって起こる合併症の知識を得ると、高血圧の治療の重要性を理解でき、治療に積極的に参画することができます。
 
Come to“メディカルスクエア下関検診クリニック
 下関市竹崎町4丁目4番8号 シーモール下関5階
 JR下関駅から徒歩3分 大丸デパート隣接の商業ビル
 TEL083−242−1167 FAX083−242−1168
 火曜日午前09.00ー午後18.00
 木曜日午前09.00ー午後12.30

 日曜日午前10.00ー午後13.00
 

 運動は新陳代謝が高まり、血液循環(血流)がよくなり、→血糖値を下げる(糖尿病治療)には大変効果があります。
 有酸素運動で脂質異常が改善されて、悩みの肥満も解消されます。お腹が凹みます。
 また「全身の体力の衰え」に働き、半月板損傷による「
膝関節痛み」も、交通事故による「頸椎痛み腰痛」も、筋肉が鍛えられることで、徐々に徐々に本当に毎日少しづつ痛みが緩和されて歩行が楽になります。
 さらに併設の「マッサージ」・「機械を使った運動」・「理学療法」を取り入れることで治癒効果が早まります。
 他の患者さんから聞く
「体験談」が励みになります。友達もできます。一番良いことは姿勢がよくなることです。立ち姿が美しくなります。自分の足で「運動療法の教室」に通えるまでが華です。

Welcome your visit.