2016年04月25日

711
731部隊
731 parties

疑問Question)
 九州大学アメリカ兵捕虜8名生体解剖事件の犠牲者の遺族は、朝鮮戦争勃発後、アメリカが
「アメリカ恩赦」によって、犯人の医師らを減刑・釈放したことを知っているのだろうか?

  Do the Bereaved families of the victims of Kyushu University American POWs eight vivisection incident know that United states of america commuted and released the perpetrator of the doctors (Vivisectiondevildoctorsby American amnesty after the outbreak of the Korean War?

 広島の被爆者や被爆者の遺族は、731部隊に対して処分しないで、このままでいいのか。

 Are the Survivors of the Hiroshima atomic bomb and their Bereaved families allowed to stand without punishment for 731 partiesnion?

 戦争は「国家のためにやる」は嘘である。
 It is the false that War do for the nation.

 戦争は武器商人・製薬企業(医師)・金に汚い政治屋の金儲けの手段である。
 War is a means of making money in the arms merchants and pharmaceutical companies(doctors) and dirty in gold politicians.

 アメリカ政府は被爆者に哀悼の意を表し、日本国民に対して、GHQが戦犯を恩赦・釈放し、手厚く擁護したことを謝罪し、戦犯とその関係者を根こそぎ日本社会から追放せよ。

 The Government of the United States represents the condolences to the atomic bomb victims, and
apologize to the Japanese peopl that GHQ pardoned, released, heavily protected for war criminals, and
case expulsion the war criminals and its affiliates from uprooted Japanese society.

 2016年(平成28年)4月12日、少し書き加えて、「会員ひろば710」を差し替えております。 

目 次

●ご挨拶 

 時間がかかりましたが、事件の背景が薄ら見えてきました。

拝啓
 アメリカのオバマ大統領が広島に来る前に、広島に原爆が投下された直後、広島にやってきたが、被害者の治療はしないで、原爆の破壊力を調査しただけの731部隊を処分し、社会から追放して、日本国民皆で終戦(敗戦)にけじめをつける方が先だと考えます。戦後は、彼らの末裔が日本国民を人体実験の餌食にして富を貪っています。薬害・治験は人体実験(金儲け)です。
 アメリカの罪は原爆を落としたことだけで無く、731部隊に限らず、政界・官界・財界・医療界(医師)・製薬企業に棲む戦犯を「不逮捕・不訴追・裁判免除」・「刑の軽減・無罪放免」にして、彼らに
日本支配させたことです。731部隊の石井四郎を裁判にかけておれば、死刑は確実でした。そうすれば、731部隊は壊滅していました。
 密約と取引でアメリカの手下になった戦犯が支配する日本が、人命尊重国家・人権国家・民主主義国家・立憲国家であるはずがありません。海外の評価「日本は正義が通らない国」・「日本はアメリカの属国である」、それが日本国の現実(実態)です。
 子供達に歴史と現実をしっかり見据えること(深く読み解くこと)を学ばせなくてはなりません。大人の責務です。
 戦後70年が経過して、インターネット・グローバル時代に「戦犯の存在と危害」を隠し通すことはできません。
 子供達の為に「できていない終戦の精算」をして、戦犯(その影響)を社会から追放(一掃)して、国として「けじめをつける時」だと考えます。
 沖縄の問題も「戦犯保守」が取り仕切ったから、不透明なおかしなことになったと、私は考えます。2016年(平成28年)4月13日 冨嶋 克子

 沖縄の問題は「アメリカが沖縄に居座った起点」から検証が必要だと思うので、世界史の窓「朝鮮戦争」の全文を転記しました。http://www.y-history.net/appendix/wh1602-001.html

朝鮮戦争

 1950年6月南北に分断された朝鮮半島で勃発した戦争。北朝鮮の南下から始まり、アメリカが南を支援して盛り返し、後半は中国軍が北を支援して参戦、53年に北緯38度線で休戦協定が成立した。冷戦下のアジアにおける実際の戦争となり、日本にも大きな影響を与えた。

 朝鮮は1945年8月15日、日本の植民地支配から解放されたが、東西冷戦が進行する中で、南北に分断されてしまった。1948年に北には朝鮮民主主義人民共和国、南には大韓民国という別個の国家が成立し、北は社会主義体制をとり、南は資本主義体制をとるという二陣営が直接対立する場となった朝鮮半島で、1950年6月についに戦争が勃発した。南北いずれが先に仕掛けたが、議論があったが、現在は北朝鮮の金日成が、中国革命に続いて朝鮮半島でも社会主義による統一国家の建設を目指し、武力統一をはかったものと考えられている。北朝鮮軍の侵攻に対して、韓国軍を「国連軍」の軍旗を掲げたアメリカ軍が直接支援し、さらには後半には中華人民共和国から義勇兵が北側に参戦し、内戦にとどまらない国際的な戦争となった。両軍は、第二次世界大戦後のもっとも深刻な戦闘を繰り返したが勝敗がつかず、1953年に北緯38度線で両軍が対峙したまま休戦協定が成立した。現在に至るまで完全な和平には至っていないのであり、東アジア情勢の最大の不安定要因となっている。

経過

■北軍の侵攻 1950年6月25日、金日成の率いる北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)軍が軍事行動を開始し、北緯38度線を越えて韓国に侵攻した。国際連合の安全保障理事会は緊急会議を開催し、即時停戦と北朝鮮の撤退勧告を決議した。この時、常任理事国のソ連は中国代表権問題で他の4常任理事国と対立して安保理をボイコットし欠席していたので、ソ連抜きの安保理決議となった。アメリカのトルーマン大統領は緊急を要すると判断してアメリカ軍単独派遣することを決意、日本駐留のアメリカ軍に出動を命じた。
■北軍、釜山に迫る 北朝鮮軍は28日、ソウルを占領したが金日成の期待した南朝鮮の人民蜂起は起きなかった。その後も北朝鮮軍の進撃は続き、大田で米軍を破り、半島南端の釜山に迫った。7月7日、国連安保理は国連軍の派遣をソ連欠席のまま決定、米軍のマッカーサー元帥を統一司令部に任命した。国連軍とはいえ、その9割アメリカ軍によって構成されているというのが実態だった。
■米軍上陸と中国参戦 9月15日、マッカーサーは北朝鮮軍の背後を突くべく、仁川上陸作戦を展開し、形勢を逆転させ、ソウルを奪回した。さらにアメリカ軍は38度線を越えて北上したため、10月20日には平壌を陥落させた。それに対して毛沢東の中華人民共和国政府は北朝鮮支援を決意し、大量の中国人民義勇軍を送った。中国軍の参戦によってアメリカ軍は後退し、38度線の南に押さえこまれ、ソウルを放棄した。
■休戦交渉 トルーマン大統領は休戦を決意し、原爆使用主張するマッカーサー司令官解任(51年4月)、長い休戦交渉の結果、1953年7月27日、南北朝鮮代表、米中代表などが板門店で朝鮮休戦協定に調印した。朝鮮戦争の休戦成立には、同年1月のアメリカのアイゼンハウアー大統領就任、3月のソ連のスターリンの死去という米ソの政権交代が大きく作用していた。

戦争の惨禍

 朝鮮戦争の戦死者の数ははっきりしないが、ロシア史料では北朝鮮、中国の死傷者は200万〜400万、韓国40万、アメリカ14万といわれる。アメリカの推定では、中国兵90万、北朝鮮兵45万が死傷。約40万の国連軍兵士も死傷。うち3分の1ちかくが韓国兵で、米軍の戦死者は5万4千人であった。ソ連は航空部隊を提供、航空機335機と飛行士120名が失われた。その他、1000万人以上の離散家族を生んだ。<下斗米伸夫『アジア冷戦史』2002 中公新書 p.82、浜林・野口『ドキュメント戦後世界史』p.74>

意義

■朝鮮の分断 朝鮮戦争によって、朝鮮は北緯38度線を休戦ラインとする南北分断国家と固定化され、民族統一はさらに困難となり、現在も休戦状態が継続している。韓国と北朝鮮の間は依然として戦争状態であり、休戦しているにすぎない。現在の両国の統一という課題の前提には、朝鮮戦争を正式に終結させることが必要となっている。第二次世界大戦によって分断国家となったドイツとベトナムは、すでに民族統一を回復しており、朝鮮のみが依然として分断されている。朝鮮の統一が達成されなければ、真の意味で第二次世界大戦は終わっていないといえる。
■核戦争の危機 第二次世界大戦終結の5年目に起こった朝鮮戦争は、「冷戦の中の熱戦」として第三次世界大戦の危機となった。国際世論がイギリスなどを動かし、世界戦争の再発は回避された。しかし、現地司令官マッカーサーは北朝鮮を支援する中国大陸に対して原爆使用計画し、一時は核戦争勃発が危ぶまれた。そのときすでに49年のソ連は原爆実験に成功しており、さらに戦争末期の53年には米ソとも水爆実験を行っていた。このような核兵器の急激な高性能化は、かえって米ソ両国に恐怖心を与え、「核抑止力」が働くこととなって、核戦争は回避された。


朝鮮戦争の影響 

 冷戦構造の中で朝鮮戦争は重要な画期となった。以下、その影響をまとめる。
■アメリカ合衆国の転換 それまでのトルーマン=ドクトリンマーシャル=プランに見られる「封じ込め政策」(非共産圏の経済を援助して共産勢力の膨張を食い止めるという政策)から、1953年のアイゼンハウアー大統領の下でダレス国務長官が打ち出した「まき返し政策」(非共産圏への軍事支援を強化し、共産勢力に反撃する)に転換した。戦争が勃発した1951年をもってマーシャル=プランは終了し、経済援助のかわりに軍事的協力の義務を負わせる相互安全保障法(MSA)に転換する。また朝鮮戦争の時期、アメリカではマッカーシズムといわれる反共産主義運動が巻き起こり、政界だけでなく、教育、文学や映画などの文化面まで共産主義者もしくはその同調者とミナされた人々に対する攻撃が行われた。
■東西対立のアジア・太平洋地域への拡大 アメリカ合衆国は1951年から53年にかけて、日米安保条約、アメリカ=フィリピン相互防衛条約、ANZUS条約、SEATOとMETOなどを次々と成立させ、アジア・太平洋地域でのソ連・中国などの対共産圏軍事包囲網を結成し、軍事的対決姿勢を強めることとなった。日本もその構想に組み込まれることとなった。
■中華人民共和国の台頭 アメリカ軍の全面的な韓国に対する支援にもかかわらず、成立直後の中華人民共和国が支援した北朝鮮が互角以上に戦ったことは世界を驚かし、毛沢東・中国共産党指導部の国内、国外での権威が強まったと言うことができる。毛沢東は1953年から第1次五カ年計画に着手、本格的な社会主義建設段階にはいる。
■アメリカの対日政策の転換 アメリカが冷戦構造の中でソ連・中国との対決姿勢を強めたことの一環として、その対日政策が大きく転換された。戦後の占領政策であった「民主化と軍備廃止」から、日米安全保障条約のもとで日本を共産圏との戦いの最前線と位置づけ、「共産主義化防止のため再軍備」させる政策に転換、それの方針によって警察予備隊(後の自衛隊)の設置日本政府指令した。
■日本経済への影響 アメリカ極東戦略変更から日本再軍備開始されただけでなく、日本は朝鮮戦争を機に、日本国内の基地から戦場に向かうアメリカ軍の軍需物資を提供することによって、大きな利益を得た。これが「朝鮮特需」と言われることであり、これによって日本は戦後の経済復興を成し遂げることとなった。いずれにせよ、朝鮮戦争によって戦後日本保守化経済成長へ大きく舵を切ることとなった。

 日本の独立国家としての主体性は埋没して、アメリカの都合(GHQ=マッカーサーの意向)に振り回された戦後70年だったと思います。
 ちなみに日本国憲法の公布は1946年(昭和21年)11月3日で、朝鮮戦争は1950年(昭和25年)6月25日−1953年(昭和28年)7月27日休戦)です。

 安倍総理のその場限りの逃げ発言は信用できない。日本人の将来を考えるとき、歴史を知ること(勉強すること)が重要だと思います。

マッカーサーの占領政策
 マッカーサーは日本政府に対し、今後の政策立案は、連合国軍総司令部GHQが直接行うと通告してきた。当時マッカーサーの秘書官だったフランクサットンさんは、「当初、米国政府の計画では、日本に軍事政権を置くはずでした。実際に、米国で軍事統治の訓練を受けた部隊が、いつでも日本に出発できるようになっていたのです。」GHQが行政、司法、立法すべてにわたって日本を統治する。それが米国政府の計画だった。

 調印式(米艦ミズリーの甲板でポツダム宣言の条項の誠実な履行等を定めた降伏文書に調印)の翌日の9月3日、外務大臣の重光がマッカーサーを訪ねた。GHQが、直接日本を統治するのは、国民は混乱するだけだから、政策の実行は日本政府を通して行うよう申し入れた。重光の作成した文書によれば、マッカーサーの答えは、「自分は、日本国を破壊し国民を奴隷にする考えは全くなし。要するに、政府と国民の出方一つにて、この問題はいかんともなるものなり」。マッカーサーは、日本の政府を介した間接統治を行うと約束した。この報告を聞いた昭和天皇の様子を伝える重光の手記「陛下より、それは誠に良かったねと、一方ならず、お言葉があり」

 この頃の昭和天皇の考えが、内大臣の記録に残されている。「天皇に対する米国側の論調につき、すこぶる遺憾に思し召され、自分の意志を新聞記者を通して明らかにする」と。このあと、昭和天皇は、アメリカ人記者2人を招き、「日本の将来は英国のような立憲君主制がよいこと、日本は、再び戦争を起こさないための必要な手段をとりうること」を伝えた。

 9月26日付けニューヨークタイムズの見出し、「天皇、今は戦争反対だと語る」だった。その頃マッカーサーは、会見を前に、昭和天皇に関するあらゆる情報を集めるよう、部下に指示していた。秘書官は、「我々は昭和天皇について、徹底的に調べました。例えば、彼は海洋生物学の権威でした。昭和天皇がタバコ好きなことも知りました。そこで、マッカーサー元帥は、タバコを持っていくことにしました。こうして、元帥は、昭和天皇についての十分な知識を持って臨むことができたのです」。

昭和天皇とマッカーサーの歴史的会見
 9月27日午前9時50分、昭和天皇を乗せた車が、アメリカ大使館公邸に向かって皇居を出発した。

 午前10時、車はマッカーサーの待つアメリカ大使公邸の門をくぐった。大使公邸の玄関にはマッカーサーの姿はなく、出迎えたのは2人の副官だけだった。昭和天皇は通訳と二人だけで奥の部屋に向かった。

 10時5分過ぎ、レセプションルームで出迎えたマッカーサーは、昭和天皇を部屋の奥へと案内した。
 写真撮影のあと、2人の会見が始まった。その場で、どのような会話が交わされたのか、日米両国の政府は、未だに何も発表していない。しかし、マッカーサーは、回想記にこの日の模様を記している。
 「タバコに火をつけて差し上げたとき、私は天皇の手が震えているのに気がついた。天皇の語った言葉は、次のようなものだった」
 天皇は「私は、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、お訪ねした」。
 「私は、この瞬間、私の前にいる天皇が、日本の最上の紳士であることを感じとったのである」
 35分にわたった会見が終わった時、マッカーサーの昭和天皇に対する態度は変わっていた。マッカーサーは、予定を変えて自ら昭和天皇を玄関まで送った。マッカーサーにとって、最大の好意の表れだった。

 写真掲載の3日後、マッカーサーは軍事補佐官から、天皇について進言を受けた。「もしも天皇が、戦争犯罪人のかどで裁判にかけられれば、統治機構は崩壊し、全国的な反乱が避けられないだろう」と。この年11月、アメリカ政府は、マッカーサーに対し、昭和天皇の戦争責任を調査するよう要請した。マッカーサーは、
「戦争責任を追及できる証拠は一切ない」と回答した。
 敗戦から1年余りの昭和21年(1946年)11月3日、それまでの大日本帝国憲法に代わって、GHQの改正案を元に政府が手を加えて、日本国憲法が公布された。その第1条にこう書かれている。「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」

マッカーサーと昭和天皇のその後
 http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/sensou/kaiken/sub-kaiken.html

 会見の後GHQは、財閥解体、農地改革、婦人参政権の確立など、次々と政策を推し進めた。
マッカーサーは、日本人についてこう語っている。
「現代文明をもって測定するなら、我々が45歳だとすると日本人12歳少年のようなものである。日本人は、新しいモデル、新しい考えを受け入れることができる。日本に基本的概念を植え付けることは可能である。彼等は生来、新しい概念を柔軟に受け入れるだけの素質に恵まれている」と。
 (日本人は飼い慣らしやすいと言っている。)

 1950年、朝鮮戦争勃発、マッカーサーは、朝鮮戦争に乗り込み戦争の指揮をとった。しかし戦争の方針をめぐって、大統領と対決、総司令官を解任された。1951年、4月16日、マッカーサーは日本を離れることになった。
日本占領するため来日してから6年後のことだった。そして1964年、マッカーサーは84歳でこの世を去った。

 1946年1月、昭和天皇は人間宣言を行った。その年の2月から9年かけて、日本各地を巡幸し、国民と直接言葉を交わした。1977年夏、那須御用邸で記者会見を行い、初めて戦後の思い出を語った。しかし、マッカーサーの初会見で、何を話したかについては言えないと答えた。「マッカーサー司令官と、はっきり、これはどこにも言わないと約束を交わしたことですから。男子の一言の如きは、守らなければならない」と。
 1989年1月、昭和天皇が亡くなるまで、ついにマッカーサーとの会見の内容について語ることはなかった。

 
「勝てば官軍」というが、戦犯を使って属国支配をさせるとは、非人道で、あまりにも汚い。

● 731部隊とは

 

 

 誤字や書きすぎて、かえって読みにくかったかとお詫び申し上げます。どこまで書くか(深さと幅)の兼ね合いが難しいです。

● 細菌戦部隊員(731部隊員)の戦後

 

● 言論弾圧・検閲が露骨に過激に

 言論弾圧・検閲は力量が無い者がすること。いくらあがいても、宇宙からは丸見えです。郵便物の抜き取りまであります。

 

 2016年(平成28年)4月12日付「朝日新聞」夕刊

■ 日本が法治国家でないことの資料

誤判は裁判官の犯罪である
だけどアメリカの属国裁判官にはお咎めなし

 GHQとCIE(Civil Information and Education Section 民間情報教育局。GHQの一部局で、第2次世界大戦後の日本占領下の文化面の情報収集と行政指導をし、教育制度改革などを実施した。)が、教育勅語をいかに埋葬するかを検討していた最中に、田中耕太郎文相は、その再生に努力をしていた。

横板の雨垂れ 田中耕太郎最高裁長官のこと

 最高裁判所の根幹にアメリカに媚びる「田中耕太郎最高裁長官の存在」がある。70年後、地裁の裁判官が合議で「この世に存在しない車庫の屋根板建材をねつ造した判決」をし、高裁・最高裁が「その車庫屋根板建材ねつ造判決」を支持し、国会の裁判官訴追委員会も委員会を開催しないで見せしめ却下をする。見せしめ却下で、下関市の職員の汚職を糾弾する市民に無力感を苛ませる。下関市の小ボスは市長で大ボスは安倍総理です。
 アメリカの属国である
日本の権力構造は三権癒着体制です。だから「裁判官がおかしな判決をする」といっても、どうにもならないのです。GHQと密約・取引した戦犯の末裔(沖縄の基地・戦犯の孫が総理大臣の内閣・薬害製薬会社・原子力発電所)を守る最高裁判所です。三権の岩盤は覇権国家「アメリカ」です。宗主国「アメリカ」が認容する枠内の裁判所(司法・法曹)です。法曹は法律と正義を足蹴りにした「裁判ビジネス」でボロ儲けをしている。勝敗に関係なく、報酬は仲間内で山分け。法曹村の掟に従わなければ、やっていけない職業になっている。だからか、故遠藤誠弁護士さんは民事裁判を敬遠された。一番賢明なことは「日本の裁判所の玄関をまたがないこと」だと思います。日本の裁判所の玄関をまたぐと「汚職国家公務員である裁判官のさじ加減に翻弄される裁判地獄」が待っています。

最高裁判所長官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本の旗 日本
最高裁判所長官
さいこうさいばんしょちょうかん
現職者:
寺田逸郎(第18代)
就任日:2014年(平成26年)4月1日
担当官庁 最高裁判所
任命者 明仁
天皇
初代 三淵忠彦
創設 1947年昭和22年)8月4日
公式サイト 最高裁判所

最高裁判所長官(さいこうさいばんしょちょうかん)は、日本最高裁判所の官職名。最高裁判所裁判官の一人であると同時に、司法行政事務を行う裁判官会議を総括する。

地位[編集]

最高裁判所長官は最高裁判所の長たる裁判官であり(裁判所法第5条第1項)、内閣総理大臣衆議院議長参議院議長とともに、三権の長と呼ばれる。

最高裁判所は、最高裁判所長官(「長たる裁判官」)1人と、最高裁判所判事(「その他の裁判官」)14人の計15人の最高裁判所裁判官(「最高裁判所の裁判官」)から成る。最高裁判所長官以外のその他の裁判官を「最高裁判所判事」という(裁判所法第5条第1項)。最高裁判所長官が内閣の指名に基づいて天皇が任命するのに対し(日本国憲法第6条第2項)、最高裁判所判事は内閣が任命し天皇が認証する(日本国憲法第79条第1項、裁判所法第39条第3項)。

 人殺し医療と旧731部隊、医療マフィアに蹂躙される日本国民。どんどん和尚のブログ−Yahoo!ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/jun777self/11642951.html

● 731部隊が医療マフィアの傘下に入ることになった事件こそが薬害エイズ事件。
 
 医療マフィア旧関東軍防疫給本部、通称731部隊日本医師会ロックフェラー全てが一本でつながっていました。
 
 旧731部隊残党どもお仲間たちがん細胞のように広がって、金儲けのために日本国民健康食い物にしているようです。
 
  731部隊 → 日本ブラッドバンク → 放射線検診協会 → ミドリ十字社 → 三菱ウェルファーマ厚生省予防医学研究班 血友病治療会原子力産業 は一本ロープでつながり、たぐればゾロゾロ出てきます。
 
 
 悪魔の系譜 すべては731部隊免罪から始まった。