2013年09月12日

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■ 人体実験実行犯

 藤原昌彦

■ 毒殺鬼

梶谷竜裕
大西八郎
上村純礼
(看護師)

■ 薬剤師も共犯

角田朋子


目 次

● 藤原昌彦

 

「足が痛くても死なない」と言った。 

だのに、どうして死んだ!

殺したのだ。




 3年間1万人の診療情報(人体実験情報)を収集(平成23年8月 久保千春九州大学病院長挨拶)しているだけある。慣れたもので、藤原昌彦はマルタに向かって、逆の向きで、上記2図を瞬時に描いてみせた。

 本当にカテーテル治療だったら、でも心臓でも、一泊二日で退院できている。19日間も入院させるカテーテル治療はない。

 青い手術着藤原昌彦実験室から出てくると、克子に背を向けて、椅子に腰を下ろし、うつむいた形で「足が痛くても、死なない」と言った。

 本当に、慢性心不全カテーテル治療(冠動脈インターベンション)を施行していたのなら、満面の笑みで「良かったね」と言っている。

 翌早朝、藤原は左腕に、ピタット、石膏で固めたギブスのように、きつく巻きつけた「どす黒い包帯」を外しに来た。下を向いたまま、克子の顔すら見なかった。見ることができなかったのである。

 (前夜、茂が強度の痛みを訴えたとき、克子が「包帯を外してください」と言うと、大西八郎が「やった医師でないと(人体実験をやった医師でないと)、私でも止血の包帯を外すことはできません」と言った。ニヤニヤ笑っていた。)

 前日の朝、大きな声で「おはようございます」と、入院室から出てきた克子に飛びつくように言ったときとは別人だった。
 一度、会ったきりの医師が、どうして、ここ(入院室の入口の外の廊下)に。訝しく思った。中の様子を見張っていたのか。

 この日で、藤原は九州大学病院を辞して、下関市立中央病院(以下、単に「中央病院」という)に転勤するということだった。この時期、中央病院では、医師がごっそり5、6人退職しており、その人員補強のためと思った。

 4ヵ月後、くも膜下出血で倒れた茂が、救急車で「国立病院機構 関門医療センター」に搬送されるとき、救急隊長が連絡をとったが、藤原は中央病院に存在しなかった。救急隊長は「いないってよ」と驚いていた。

 その後、克子が中央病院に確認の電話を数回したが、藤原昌彦という医師は存在しなかった。電話に出た女子事務員が「養子に行ったということはないでしょうね」と言う始末だった。藤原は養子に行けるような歳ではない。

 まさか、口封じのために「殺された」ということはないだろう。

 藤原昌彦を捕まえて、吐かすと、九州大学総ぐるみの人体実験・殺人の全容が明らかになる。中央病院など、翼下の中・小規模病院(医院)も関係している可能性がある。否定することは出来ない。

● 梶谷竜裕

 

梶谷竜裕

むき出しの殺意



● 角田朋子

 

角田朋子




■ 参照

科なし 岡田 享子 先生


■ 医学部の腐敗・レベル低下は他学部にも影響

2013年(平成25年)9月12日付毎日新聞